金鶏伝説
あるところに金の鶏が埋まっていて、村が危機になったときにだけ掘り出してよい、とする話。これを金鶏(きんけい)伝説といい、全国各地に伝わっている。その広がりは日本のみではなく、中国や西洋にも類話があるという。
県域では、摂津国八部郡(せっつのくにやたべぐん)、有馬郡(ありまぐん)から播磨国美嚢郡(はりまのくにみのうぐん)にかけて、現在の行政区分で言うと神戸市北区・西区から三木市(みきし)にかけてが、この伝説が比較的目立つ地域である。その一つ、現在は戸建てニュータウンと、古くからの農村が共存している神戸市北区の唐櫃台(からとだい)周辺を訪ねてみた。
伝説の舞台となり、唐櫃の地名の由来ともなっているヌノド(布土)の森は、小学校の脇にあった。森の中には石の祠(ほこら)があり、かつては近所の人たちがお供えもしていたという。近くには宝筐印塔(ほうきょういんとう)の一部も転がっていた。
また、子供たちが鶏の鳴きまねをする行事が行われる神社は、下唐櫃の山王神社のことである。現在も、2月3日の節分の日(うるう年の場合は2月4日)の夜に行われている。地区では、この行事を「東天紅(トテコロ)」と呼び、古くはヌノドの森の祠で行っていたとも伝えているという。
このあたりの金鶏伝説は、唐櫃のように神功皇后(じんぐうこうごう)伝説と結びついている場合が多い。神功皇后伝説は大阪湾沿岸に色濃く伝えられ、県域でも摂津や播磨の瀬戸内海に近い地域を中心に伝わっている。たとえば、後で紹介する神呪寺(かんのうじ)がある甲山(かぶとやま)も、神功皇后が武器や宝物を埋めたところと伝えられている。
六甲山頂付近にある「石の宝殿(ほうでん)」も、金鶏埋蔵伝説と神功皇后伝説が結びついている。ここは神功皇后が朝鮮半島から持ち帰った神の石を納めたところで、祠のそばの三ツ葉ウツギの根元には金鶏が埋まっている、とされている。
主役が源義経(みなもとのよしつね)になっている場合もある。須磨区白川(すまくしらかわ)では、集落奥の山中に「宝山」と呼ぶところがあり、一の谷の合戦に向かう途中、義経が雄と雌の金の鶏を埋めたと伝えられている。白川などの六甲山西麓には、江戸時代に鵯越(ひよどりごえ)と呼んだ神戸と三木とをつなぐ交通路と、そこから須磨方面に派生する枝道に沿って、義経が戦場へ向かった話にちなむ伝説が多い。
金鶏伝説は、神戸周辺から離れると、かつて大変な長者がいたという長者屋敷伝説や、地域を治める領主が住んでいたという城跡伝説と結びついている場合が多い。たとえば養父市高柳(やぶしたかやなぎ)の近くの「梶原(かじわら)」という丘にある、太郎兵衛長者(たろべえちょうじゃ)という富豪の屋敷跡には財宝が埋まっていて、節分の夜には金の鳥が飛び回る、とされている。こうした伝説は全国各地に無数に見られる。
神戸周辺の場合は、神功皇后や源義経など、地域に特徴的な人物と金鶏が結びついている。やはり金鶏は、長者や地域と関わった歴史上の偉人など、英雄との関連が深いのであろう。金鶏伝説には、村が危機に陥ったときに限って掘り出してよい、という話がついている場合が多いが、これも地域の英雄に村を守ってほしいという願望を反映したものではないだろうか。
用語解説
寺院と地主神
つぎに、鷲にまつわる伝説を紹介しよう。六甲山の東、甲山(かぶとやま)の中腹にある神呪寺。このお寺の開基伝説に、建立を妨害する荒神(こうじん)として鷲が登場する。
西の方にある山とは六甲山が想定されていると見られる。神呪寺からやや西方の六甲山の山裾には、鷲林寺(じゅうりんじ)という寺院もある。この鷲林寺にも神呪寺とよく似た開基伝説が伝わっていて、境内には、最近建立されたものであるが、鷲の地主神をまつる荒神堂(こうじんどう)もある。
神呪寺も鷲林寺も、真言宗(しんごんしゅう)の寺である。真言宗の総本山高野山金剛峰寺(こうやさんこんごうぶじ)にも、似たような話がある。高野山に寺を開こうとした弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)を案内したのが、白と黒の2頭の犬を連れた高野明神(こうやみょうじん、「狩場明神(かりばみょうじん)」とも呼ばれる)で、空海に高野山の敷地を譲ったのが、丹生都比売明神(にうつひめみょうじん)であるとされている。両者ともに、高野山の鎮守神としてまつられている。
紀行文「姫山の地主神」でも紹介したように、新しく地域に入ってきた人々は、それ以前からまつられていた神、すなわち地主神を尊重しなくてはならなかった。寺院の世界でも、真言宗に限らず、寺ができる以前から寺域周辺で信仰されていた地主神をまつることは一般的である。神呪寺、鷲林寺の開基伝説については、宗派のつながりから見て、高野山の地主神伝説が影響していると考えてよいであろう。