遠い昔のことです。播磨(はりま)の国に大汝命(おおなむちのみこと)と、少彦名命(すくなひこなのみこと)という二人の神様がいました。大汝命は体が大きくて、たいへん力持ちの神様でした。一方の少彦名命は、体は小さいのですが、すばしこくてがまんづよい神様でした。二人の神様はとても仲良しで、いっしょに播磨の国づくりをしていました。
ある日のことです。少彦名命がこんなふうに言い出しました。
「埴(はに:赤土のねん土のこと)の荷物を背負って歩いて行くのと、うんこをがまんして歩いて行くのと、どっちが遠くまで行けると思う」
「おれだったら、うんこをがまんする方だな」
大汝命は笑って答えました。
「じゃあ、競争してみるかい」
「ようし、やってみよう」
小さい少彦名命は、大きくて重たい埴を背負って歩きはじめました。あんまり重たいので、よろよろしています。それを見た大汝命は笑いました。
「荷物を持たないで旅をするのは、楽でいいもんだ」
少彦名命は、顔じゅうあせまみれになり、うんうん言いながら歩いています。一方の大汝命は、楽々と歩いてゆきました。
旅を続けて何日かたつと、少彦名命の顔はあせとほこりにまみれて、黒くよごれていました。もうへとへとです。ところがあれほど笑っていた大汝命も、まっ青な顔をして、あぶらあせを流していました。うんこをがまんするのが、苦しくなってきたのです。
神崎郡(かんざきぐん)についたころ、とうとうがまんしきれなくなった大汝命は、「もうだめだ」とさけんで道ばたの草むらにかけこむと、たまっていたうんこを、一気に出してしまいました。あまりの勢いに、うんこはササの葉にはじきとばされ、飛び散って石になりました。こういうわけで、うんこがはじき飛ばされたあたりのことを、初鹿野(はじかの)と呼ぶようになりました。
それを見た少彦名命も、「おれも、もうだめだ」と言って、背負っていた埴を道ばたに投げだしました。この埴も同じように固まって、石になりましたので、そのあたりを埴岡里(はにおかのさと)といいます。
「いや参った。本当に苦しかった」
大汝命がそう言って、大きなため息をつくと、少彦名命も「まったくだ、苦しかったよ」と答え、二人は顔を見合わせて大笑いしました。