いつも村にいる神様や仏様は、人々のそばにいて困ったときは助けてくれ、時には身をもって人々を教え導いてくれるものだ。時にはあわてて大失敗をすることもあるけれども、だれからも親しまれ、敬われる存在だ。今回、淡路島から取り上げた物語も、そんな神様・仏様の物語であった。

松帆神社の曲がり松

鳥居から門を見る
鳥居から門を見る

明石海峡(あかしかいきょう)にかかる大橋を、わずか数分で渡り終えると淡路島である。そこから国道28号線に降り、東海岸に沿って7kmほど南下したところに松帆神社(まつほじんじゃ)がある。松の若木がまっすぐに伸びる境内には明るい日光が降り注ぎ、潮風が通りすぎてゆく。

宮司(ぐうじ)さんのお話では、伝説の曲がり松は枯れてしまったという。ついうっかりしていて、どこにあったものか聞きそびれてしまったが、境内にはいくつか切り株もあったから、そのひとつが曲りが松だったのだろう。『兵庫県大百科事典』下巻の松帆神社の項を見ると、門前の広場に、地をはうように曲がった松の幹が写った写真が掲載されている。

松帆神社(境内)
松帆神社(境内)
松帆神社(拝殿)
松帆神社(拝殿)
松帆神社(本殿)
松帆神社(本殿)
松帆神社(看板)
松帆神社(看板)

海が穏やかな日には、門前の松の木に腰かけて、のんびりと景色をながめていたい。そんな気持ちにさせてくれる場所である。 松帆神社は、応神(おうじん)・仲哀(ちゅうあい)の両天皇と神功皇后を祭神としており、明治初めごろまでは八幡宮と呼ばれていたという。

狛犬ではなく亀
狛犬ではなく亀
亀に耳がある?
亀に耳がある?

用語解説

生穂賀茂神社と室津八幡神社

生穂賀茂神社(鳥居)
生穂賀茂神社(鳥居)
生穂賀茂神社(本殿)
生穂賀茂神社(本殿)
生穂賀茂神社(看板)
生穂賀茂神社(看板)

松帆神社からさらに15kmほど南下すると、生穂の集落である。生穂の交差点で、国道28号線から県道123号津名北淡線に入り、500mほど山側へ入った場所にあるのが賀茂神社である。

高台にある境内からは、村の周辺が広く見渡せる。東には海が開け、西は山地にさえぎられた、淡路の東浦(ひがしうら)らしい、いかにものどかな風景が連なっている。

願いが叶う石
願いが叶う石

由緒略記によると、この地域に京都上賀茂神社の荘園が置かれていたことから、賀茂神を祭るようになったという。後にはこれに加えて、白鬚神(しらひげのかみ)、貴船神(きふねのかみ)、伝説にある春日神(かすがのかみ)などを合わせ祭ったため、四社明神とも呼ばれるようになったということなので、伝説で取り上げた春日の神様も、元は別の場所でお祭りされていたのだろう。

賀茂神社の裏山は、雨乞山(あまごやま)と呼ばれ、干ばつの年には頂上で火を焚いて雨乞いをするそうである。こちらの方は、水の神様である貴船神の仕事ということになるだろうか。

賀茂神社の前から県道123号線を北西に進むと、やがて淡路島の中央をはしる山地にさしかかる。道幅が狭い所も多い。この山地のために、淡路島の東部と西部は、そう遠いわけではないのに交通は不便である。道も整わない時代であれば、春日の神様を乗せた鹿なら身軽に越えられただろうが、八幡様を乗せた牛では、少々息切れしたかもしれない。

室津八幡神社(門)
室津八幡神社(門)
門をくぐる
門をくぐる
夕暮れの海を望む
夕暮れの海を望む

その室津八幡神社(むろつはちまんじんじゃ)は淡路市室津にある。室津の港から、まっすぐに100mほど続く石畳の参道を入ると、西に向いたまだ新しい社殿が建っている。1995年の震災で大きな被害を受けた後、再建されてまだ日が浅いとのことである。

八幡神は、本来は「やはたのかみ」と読み、農耕の神、海の神、あるいは鍛冶(かじ)の神とされているようだ。後には応神天皇が祭神とされ、さらには神仏習合の流れの中で「大菩薩」と呼ばれるようになったそうだが、伝説に出てくる八幡様は、土地に根を下ろした、古い神様の姿をとどめているように思える。

室津八幡神社(本殿)
室津八幡神社(本殿)
室津八幡神社(本殿)
室津八幡神社(本殿)

境内から見ると、鳥居の先には港に並んだ船、その先には瀬戸内海が見渡せる。ことに夕焼けの時間には、とてもきれいな景色が見られる場所である。村境を決めるという、どちらかというと「利」に関係した話でありながら、とてもユーモラスに、争いごともなく描かれた伝説は、淡路という穏やかな風土に似合ったお話だと、夕日を見ながら思った。

用語解説

信仰を集めた先山

先山
先山

先山は、洲本市(すもとし)の北西にある。標高は448m、優美な山容から「淡路富士」とも呼ばれているそうで、千光寺はその山頂にある。ふもとからはいくつかの登山道があると思うのだが、伝説紀行の取材では車で登らせてもらった。洲本市下内膳(しもないぜん)の村を抜けると、あとは山を登る道で、さしたる難所もなく頂上直下の茶店近くまで行くことができる。

そこからは徒歩で、けっこう長い階段を登らねばならない。

千光寺 階段を上る
千光寺 階段を上る
境内へ
境内へ
三重塔
三重塔
鐘楼
鐘楼

深い朱色に塗られた門をくぐると、木立に囲まれた静かなたたずまいの三重塔が目に入る。江戸時代に建てられたものである。その奥の本堂前には、狛犬ではなく石造りの猪が左右を守っているが、これは他では見られない風景ではないだろうか。

千手観音の大提灯
千手観音の大提灯
狛犬ではなく猪
狛犬ではなく猪

鎌倉時代の隆盛から、戦乱での荒廃を経て16世紀中ごろ以降に復興した千光寺は、淡路西国三十三箇所第一番の札所となり、また六十六部廻国納経(かいこくのうきょう)の霊地としても繁栄したそうである。室町時代に描かれた「千光寺参詣曼荼羅(せんこうじさんけいまんだら)」には、立派な本堂や三重塔のほかに多数の建物が見られ、寺の繁栄がしのばれる。その曼荼羅の隅には、大きな木の洞に立つ千手観音が描かれている。

千光寺の縁起となった「大猪と狩人忠太」の話は、淡路の人々には深く浸透したお話で、千光寺だけでなく周辺にも、この伝説に関わる地名が残されているという。人々が毎日仰ぎ見る山は、信仰の山であると同時に、身近な土地の歴史を語るためになくてはならない心の故郷だったのではないだろうか。

千光寺からの眺望
千光寺からの眺望
日本真景播磨・垂水名所図帖
日本真景播磨・垂水名所図帖
淡路名所図絵
淡路名所図絵

用語解説

歴史を伝える社寺と恋の森

広田八幡神社
(鳥居)
広田八幡神社
(鳥居)

千山から3kmほど南の、南あわじ市広田広田には、広田八幡神社と大宮寺がある。源頼朝が平氏追討の戦勝祈願のために、現在の西宮市にある広田神社へ、淡路の広田荘を寄進したことが起源となったという広田神社は、大宮寺とともに『淡路名所図会(あわじめいしょずえ)』にも描かれている。

広田八幡神社(境内)
広田八幡神社(境内)
広田八幡神社(看板)
広田八幡神社(看板)
淡路名所図絵
淡路名所図絵

その大宮寺の裏山には、江戸時代、淡路で起きた最大の一揆である「天明の縄騒動」に殉じた人々を供養する塔がある。首謀者とみなされた二人は処刑されたが、今もこの場所では、命日である3月23日に、天明志士大祭が営まれているそうである。背後の山には、淡路島一という広田梅園もあるので、花の季節にはぜひ一度訪ねてみたいと思う。

大宮寺(本堂)
大宮寺(本堂)
大宮寺(看板)
大宮寺(看板)
縄騒動の碑
縄騒動の碑
恋の森
恋の森

広田八幡神社と大宮寺から、400mほど南にある恋の森荒神には、伝説としては少し異色の、ロマンチックな物語が伝わっている。

恋の森神社
(鳥居)
恋の森神社(鳥居)
仲良く並んだ祠
仲良く並んだ祠
恋の森神社(看板)
恋の森神社(看板)

今でこそ住宅地の一角になってしまっているけれど、かつてこのあたりには森が広がり、そこで仲良く遊んでいた男の子と女の子が、やがてめでたく結ばれて、末永く幸せに暮らしたという伝説から、いつしかこの場所は「恋の森」と呼ばれるようになったという。新婚の夫婦が荒神へお参りすれば末永く幸せに過ごすことができ、もしも夫婦仲が悪くなった時には、この荒神さまの前でむつまじく語り合えば、もとの恋人同士に戻れるとも伝えられている。

伝説や荒神様の起源はわからないようだが、幸せをもたらす「恋の森」として、地元の人々は大切に守り続けている。伝説にあやかりたい人はいませんか。

用語解説