文殊(もんじゅ)様と言えば、知恵(ちえ)のすぐれた仏様です。あちこちのお寺で祭られていて、たくさんの人たちが、文殊様に「どうぞ知恵をお授けください」とお願いします。その文殊様同士が知恵比べをしたら、どうなるのでしょうか。

昔、播磨(はりま)にある北野の村に、文殊様がいらっしゃいました。

その文殊様が、ある日、天橋立(あまのはしだて)を見物しがてら、切戸(きれど)の文殊様を訪ねようと思い立ちました。さっそく旅支度をして出かけ、天橋立をながめた後で切戸へとやって来ました。
「北野の文殊やないか。よう来たのう。どうじゃ、切戸はええとこやろう」
切戸の文殊様は、にこにこしながらむかえてくれました。
「ほんまやのう。景色もええが、ここのお寺もお参りの人がぎょうさんおって、たいしたもんやなあ」
お参りの人が数えるほどしかいない北野の文殊様は、感心してそう言いました。

二人でお酒を飲みながら話していると、切戸の文殊様は、そのうちにこんなふうにぐちを言い始めました。
「そやけどなあ、毎日毎日拝まれて、たのみ事ばっかり聞かされたら、ほんまにかなわんもんやで」
「あほなことを。こないにお参りしてもろうて、そんなこと言うとったら、ばちが当たるで」
北野の文殊様はそう言いましたが、内心、うらやましくてたまりません。どうにかして、切戸の文殊様と入れかわりたいものだと考えました。一方の切戸の文殊様は、こんなふうに思いました。
「あないなこと言うて、切戸をほめとったけど、あの北野の文殊は知恵の働くことで有名なやつや。いっぺん、北野がどないな具合か確かめたろう」

切戸の文殊様は、北野の文殊様が帰る後をそっとついて、北野までやって来ました。お寺の外で、北野の文殊様がおよめさんに土産話をしているのを、そっと立ち聞きしてみますと、
「切戸ちゅうても、たいしたことあらへんなあ。景色だけはええけど、あないにお参りが少なかったらあかん。北野とは比べもんにならへんわ。よそへ行ってみたら、自分とこのええのがわかるなあ」 などと話しているのが聞こえます。

「ほれみてみい。これやから油断でけへん。切戸ではあないなこと言うとったのは、うそやったんやな。やっぱり、北野の方がようもうかってるんや」
切戸の文殊様はぶつぶつ言いながら帰りましたが、「何とかして北野の文殊と入れかわることはできないか」と、そればかり考えていました。

しばらくたって、北野の文殊様から手紙が届きました。切戸ではお世話になったから、お返しに北野へもきてほしいと言うのです。ただ、正月の二十五日が、お参りが一番少ない、ひまな日だから、その日に来てほしいと書いてありました。

正月の二十五日、約束どおり切戸の文殊様は、北野の文殊様の所へやってきました。
「北野の文殊よ、なかなかええ景色やないか」
「景色言うても山しかあらへんがな」

北野の文殊様の手紙には、たしか今日はお参りが一番少なくて、ひまだと書いてありました。ところが、お参りの人を見ていると、次から次へひっきりなしです。
「お参りも多いやないか」
「いやいや、ほんまに不景気なもんやで」

切戸の文殊様がほめても、北野の文殊様はちっともじまんしません。切戸の文殊様は、それが余計に気になりました。北野の文殊様が、自分の所をちっともじまんしないのは、北野がよほどいいところだからにちがいない。そんなふうに思いました。

そこで切戸の文殊様は、じょうだんめかして、「どうや、いっぺん入れかわってくれへんか」と言ってみました。
「いやいや、こんなとこでも住めば都や」
北野の文殊様はそう答えましたが、顔はにこにこしています。切戸の文殊様は、ますます北野が良い所のように思えてきました。そこでどうしてもと無理にたのんで、とうとう入れかわってもらうことになったのです。

ところが入れかわった次の日、ひとりのお参りもありません。それどころか、何日経っても、お参りの人はやって来ません。
「こらいったい、どないしたんやろう」

そこで切戸の文殊様は、近所に出かけていって、おひゃくしょうさんにたずねてみました。するとおひゃくしょうさんが言うのです。
「お参りがあるのは、一年でも正月の二十五日だけですわ。他の日にお参りする人なんかありまへんがな」
そのうえ、北野の文殊様にはおよめさんもいないというのです。北野の文殊様は、切戸の文殊様が立ち聞きしているのを知っていて、一人で話していたのでした。

「しもた、北野の文殊にいっぱいくわされたんや。」
切戸の文殊様はくやしがりましたが、もう間に合いません。

それからというもの、子供たちに
切戸の文殊はあほ文殊
北野の文殊は知恵文殊
と歌われるようになったそうです。