これまでの展覧会
たくさんの歴史に纏わる展覧会を行ってきました。
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清流と瀬戸のはぐくむ文化財-神崎郡と飾磨郡-
- 種類
- 特別展
- 開催
- 2001/7/28(土)ー8/26(日)
- 主催・共催
- 神戸新聞社、中播磨歴史文化フェスティバル実行委員会(家島町・夢前町・神崎町・市川町・福崎町・香寺町・大河内町・兵庫県立歴史博物館)、家島町教育委員会、夢前町教育委員会、神崎町教育委員会、市川町教育委員会、福崎町教育委員会、香寺町教育委員会、大河内町教育委員会
中播磨地域は兵庫県下においても、古代から現代に至るまで豊かな自然と文化に彩られた地域である。21世紀を迎えるにあたり、中播磨地域が連携し、新世紀の幕開けにふさわしい新しい地域の創出に向け、中播磨の飾磨郡2町・神崎郡5町の文化財を広く県民に紹介した。それと同時に、文化財を受け継いでいくことの重要性を改めて考える場を提供することができた。
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天下統一と城
- 種類
- 特別展
- 開催
- 2001/4/14(土)ー6/10(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、読売新聞大阪本社、読売テレビ
城は日本の各地に4万もあるといわれており、人々には大変馴染みの深い遺跡である。これらの城は、16~17世紀にかけて著しく発達したが、まさしく中世から近世へと、政治や社会の仕組みが大きく変わる激動の時代に構築された。遺跡が示す戦国の城から近世の城への変化の過程は、天下統一という歴史の実態を端的に物語るものといえよう。 本展では城を主題に、地域性・戦い・技術の伝播などの視点から、最新の研究・調査の成果をもとに、織田信長の安土城を経て、姫路城に代表される江戸時代の城が、どのように成立していったのかを紹介した。また、「安土城復元CG」や「超拡大!江戸図屏風」など、国立歴史民俗博物館が研究開発したユニークな情報提供ソフトにより、観覧者に城に対する関心を高めることができ、新趣向の展示の試みとして好評であった。
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合戦図屏風
- 種類
- 特別陳列
- 開催
- 2001/2/24(土)ー3/25(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
「平家物語」と「太平記」という二大軍記物語の絵画化に焦点をあて、館蔵・寄託資料より合戦図屏風を中心に関連の作品を展示した。これらの戦乱の情景を描いた合戦図は、物語の愛好を背景に、江戸時代には様々な形式の絵画が盛んに制作されていた。 一場面を大きく描く屏風絵、一扇一扇に物語の場面を展開させた押絵貼屏風など、様々な形式がある。それらを、初期絵入版本や錦絵などとあわせて展示することで、描き方や絵より受ける印象の違いをじっくりと鑑賞できる機会になったと考えている。
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円山応挙 大乗寺 郭子儀図襖絵(複製)
- 種類
- 特別陳列
- 開催
- 2001/1/13(土)ー2/12(月・祝)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
香住町大乗寺には円山応挙一門が描いた襖絵が多く伝わる。その多くの襖絵の中でも郭子儀図襖絵は、天明7年(1787)暮れに応挙自身によって描かれたものであり、応挙の代表作品として知られている。 この特別陳列では、当館が所蔵する郭子儀図襖絵(複製)8面を展示した。大乗寺の郭子儀図襖絵を彷彿とさせるよう、実際と同じような展示空間を再現した。
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城郭彩々
- 種類
- 企画展
- 開催
- 2000/11/18(土)ー12/17(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
荻原一青(1908~75)は尼崎に住み、生涯にわたり全国の城郭の絵を描き続けた画家である。若い頃に友禅染めの図案作りに携わり、絵筆の確かな技法と構図の豊かな発想を身につけ、一青独自の親しみのわく城郭画が数多く創作された。 この企画展では、当館の鳥羽正雄コレクションに収められた一青筆の手拭い画、75点の全作品を紹介した。展示にあたっては、春夏秋冬・城のイメージ・遠景の天守・城郭の再生といった小テーマでグループ分けし、自由な視点で楽しく鑑賞できるよう配慮した。
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豪商 高田屋嘉兵衛
- 種類
- 特別展
- 開催
- 2000/9/15(金・祝)ー11/5(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、神戸新聞社、五色町
高田屋嘉兵衛(1769~1827)は淡路都志本村(津名郡五色町)出身。兵庫津(神戸市)に出て船乗りになり、蝦夷地(北海道)と上方を結ぶ交易を始めた。航路を開設してエトロフ島の開発を行い、また幕府の御用船頭となって取扱う商品の品質管理を厳密に行ったため、またたく間に豪商となった。 嘉兵衛はロシアとの外交問題であったゴローニン事件でカムチャッカに拘留されたが、この事件を平和的に解決して日露両国から絶賛され、晩年は故郷の淡路に戻って郷土の発展に尽している。 本展では、高田屋嘉兵衛の生涯とゴローニン事件における活躍、北前船による交易を紹介するとともに、北方探検やアイヌの人々の民俗などについてもスポットを当てた。
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すごろくにみる 明治・大正・昭和
- 種類
- 企画展
- 開催
- 2000/4/15(土)ー8/20(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
幼いころ、誰もが遊んだことがある すごろく。その歴史は、室町時代にまでさかのぼるとされ、江戸時代には出版メディアの発達や多色刷り木版印刷技術の向上にともなって、さまざまな絵柄の すごろくが作られるようになった。 そして、明治以降、新しいメディアとして新聞・雑誌が大量に出版されるようになると、すごろくはその付録として作られるようになり、さらに多種多様な趣向をこらしたものがあらわれる。その絵柄に目を向ける時、わらわれはその当時の価値観や世相・風俗がそこに色濃く反映していることに気づかされる。 この展覧会では、現在のわれわれの生活・文化を形づくった明治・大正・昭和という時代がどのような時代であったのかを、当時の すごろくを通じて振り返ってみようとした。
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兵庫の陶磁器
- 種類
- 企画展
- 開催
- 2000/1/15(土)ー3/5(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
当館では、丹波焼をはじめ三田焼・王地山焼・東山焼・珉平焼・朝霧焼の京焼系の陶磁器、肥前焼の系譜を引く古出石焼など兵庫の陶磁器を所蔵している。その中には、陶工銘・制作年・生産地などを記したものがあり、兵庫の陶磁史を解明する上で、重要なものが含まれている。この企画展では、江戸時代のものを中心に、兵庫県下の陶磁器の一端を紹介した。
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忠臣蔵の世界-この間の遺恨覚えたるか!-
- 種類
- 企画展
- 開催
- 1999/11/19(金)ー12/19(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
赤穂藩主・浅野内匠頭長矩による吉良義央への刃傷から、赤穂浪士の吉良邸討入りに至る赤穂事件は、江戸時代の人々の心に深い感銘を与えた。 謎の多いこの事件は、さまざまな憶測や論争を呼ぶ一方で、忠義の物語として脚色され、やがて『仮名手本忠臣蔵』という大衆演劇として大成する。 この『仮名手本忠臣蔵』の成功によって、その後、赤穂事件を題材とした浄瑠璃や歌舞伎はすべて「忠臣蔵」「忠臣蔵もの」と総称されるようになり、ついには、史実としての赤穂事件そのものも「忠臣蔵」としてイメージされるようになっていった。そして近代に至っても、忠義の美談としての「忠臣蔵」の物語は、さまざまな形で再生産されていったのである。 NHKの大河ドラマ「元禄繚乱」にちなんで開催したこの企画展では、当館の館蔵品の中から、赤穂事件に関する記録や絵画、ならびに『仮名手本忠臣蔵』を主題とした錦絵や読み物などを展示し、「忠臣蔵」の実像とフィクションの両面に迫ってみた。
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元禄繚乱展-華ひらく文化と忠臣蔵-
- 種類
- 特別展
- 開催
- 1999/9/23(木・祝)ー11/7(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、NHK神戸放送局、NHKきんきメディアプラン
関ヶ原の戦いから百年が過ぎ、人々は天下泰平を謳歌。五代将軍綱吉の治世は豪奢な元禄文化によって代表される。しかし一方では、幕府の財政は逼迫、政治は大きな岐路に立たされていた。赤穂藩主浅野内匠頭長矩による吉良上野介義央への刃傷、赤穂藩士による吉良邸の襲撃は光と陰が交錯する変革期に起きた事件であった。 NHK大河ドラマ「元禄繚乱」にちなんで開催された同展では「元禄文化」と「赤穂事件と忠臣蔵」の二部から構成し、元禄文化を象徴する華やかな婚礼調度や屏風、赤穂事件と忠臣蔵の資料により、この時代の本質と現在につながる日本社会の原点を探った。
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狩野永納-その多彩なる画業-
- 種類
- 特別展
- 開催
- 1999/7/17(土)ー8/29(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、神戸新聞社
元禄六年(1693)に刊行された『本朝画史』は「最初の本格的な日本絵画史の著述」といわれている。この書物はその時代までに活躍した約四百名の画家伝なのだが、刊行されたこともあり、江戸時代、またそれ以降の時代でも多くの人に読まれた。つまり、我々の日本絵画に関する情報は、この『本朝画史』に負っている部分が極めて多いのである。 この『本朝画史』を著したのは狩野永納(1631~97)という画家だった。永納は、京都狩野派の画家・狩野山楽を祖父に、狩野山雪を父にもち、自らも家業である絵画制作に精力的に取り組んでいた。しかし、『本朝画史』の著者としての名声があまりに大きかったため、永納の画業はあまり注目されてこなかった。 この展覧会では、狩野永納の画家という面に注目した。これにより、この画家の知られていなかった一面を明らかにし、かつ『本朝画史』を深く読み込むための多くの資料を提供した。 展覧会は、以上のような意図を込め開催された。
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よみがえる正倉院宝物-再現された天平の技-
- 種類
- 特別展
- 開催
- 1999/4/24(土)ー6/6(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、朝日新聞社、宮内庁
今から1200年ほど前の奈良時代に創建された正倉院に、聖武天皇・光明皇后の遺愛品や、東大寺大仏開眼会で使用された品々が伝来している。正倉院はシルコロードの終着点といわれるように、その宝物は国際性に富み、華やかなりし天平文化を今に伝える大変貴重なものである。これらは金銀、象牙、紫檀など いろいろな材料を用いて、螺鈿、平脱、撥鏤といったさまざまな技法で造りあげられた。その後、残念ながら絶えてしまった技法もあるが、その技術水準の高さには目を見張るものがある。 今回の特別展は、正倉院宝物の復元品を紹介するものである。正倉院宝物の復元は、江戸時代の記録にも見られるが、明治に入ってから本格化した。これまでに制作された復元品は数百点にのぼり、戦前においては帝室技芸員、戦後は人間国宝といった一流の工芸作家によって制作されたもので、その芸術性、学術性は高く評価されている。 本展は、それらの復元品やその製作過程を示す貴重な資料を展示し、失われた古代の工芸技術を現代によみがえらせた。
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甲冑師 姫路明珍家
- 種類
- 企画展
- 開催
- 1999/2/13(土)ー3/22(月・祝)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
甲冑師明珍の名は、室町時代後期からみえ、もとは馬具鍛冶であったが、やがて甲冑師となり一門は発展した。江戸時代になると、明珍宗信が江戸に居を構えて以降、明珍本家として系図や花伝書を整え、鑑定書を発行するなど自家の宣伝にも努めた。明珍本家には数多くの門人が集まって研鑽を積み、修業を終えた門人は各地の大名家に召抱えられ、明珍は甲冑師最大の流派を形成した。 姫路明珍家は、明珍派甲冑師の一家で、前橋藩主酒井家のお抱え甲冑師となり、酒井家が姫路藩主となると姫路に居を移し活躍した。同家には江戸時代から近代に至る「姫路明珍家文書」が伝わっている。本展は、当文書を中心とする資料により、同家の歴史や明珍派の流派形成のあり方などを紹介、あわせて姫路明珍家が製作した作品を展示し、姫路に伝わる伝統技術について、関心を深めてもらう機会とした。
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兵庫の民家と町並み-内海敏夫が描く-
- 種類
- 企画展
- 開催
- 1999/1/5(土)ー1/31(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館
この企画展は、姫路在住の洋画家 内海敏夫氏より兵庫県へ寄贈され、当館に収蔵された兵庫県内の民家と町並みをスケッチした絵画150点を展示した。 内海氏は、大正7年 龍野市に生まれ、昭和23年より30年間にわたり姫路市内の中学校の美術の教師をされた後、昭和53年より、県内の民家や町並みのスケッチを始められ、これまでに2冊の画集を出されている。 寄贈された150点の作品は、画集に掲載された図版の原画で、その題材は兵庫県内の全市町に及び、描かれた民家は、ほとんどが長い風雪に耐えてきた旧家である。この中にはすでになくなった家屋や、景観の変化した町並みが描かれた作品も多く含まれ、今後、時間が経過していくにつれて、歴史的な価値も高まっていくものと考えられる。 この企画展は、寄贈された作品150点すべてを展示して全容を紹介するとともに、兵庫県の懐かしい風景にふれていただく機会とした。
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三万年の旅-ナウマン象から汽車土瓶まで
- 種類
- 特別展
- 開催
- 1998/10/3(土)ー11/23(月・祝)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、朝日新聞社、兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所
兵庫県は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の旧五ケ国からなり、古代から都とこれらの国々を結ぶ山陽道・山陰道・南海道などの陸や海の道が通る交通の要所であった。このような地理的環境は、「人」や「物」の往来を促し、兵庫県を取り巻く様々な地域と活発な交流が展開され、三万年にもおよぶ兵庫県の歴史を作り上げてきた。 本展は、全国の支援を得て行った震災復興に伴う調査や、最近十年間に兵庫県教育委員会が行った発掘調査のなかから人や物の交流を示す具体的な資料を紹介した。また、阪神・淡路大震災以後、地震予知研究の重要な資料として再認識された噴砂や断層などの過去の地震の痕跡を示す資料も併せて展示した。
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文化の伝承-江戸から現代へ 華麗なる能装束の美
- 種類
- 特別展
- 開催
- 1998/7/18(土)ー9/6(日)
- 主催・共催
- 兵庫県立歴史博物館、朝日新聞社
鎌倉から室町時代にかけて、古い芸能の猿楽から歌と舞いによる劇形式の能が生まれた。武家や貴族に愛好された能は、江戸時代には幕府や大名の庇護を受け、いっそう精緻・華麗なものに発展した。その装束も、はじめは質素であったが、安土・桃山時代以降、経済的な繁栄や染色技術の進歩の結果、上質の生糸や金銀箔をぜいたくに使った絢爛豪華な舞台衣装として制作されるようになった。 しかし、現在、伝わっている当時の装束は、実際の演能に耐えないほど傷んでいるものが多く、また、製作を支えていたさまざまな技術は、近代化とともに消失の危機にさらされ、その保存と伝承が大きな課題となっているのが現状である。 山口能装束研究所では、桑の栽培から養蚕・製糸・染色・織りまで総合的に研究し、江戸時代の能装束の復原と技術の伝承に努めてきた。 本展では、その成果である復原能装束約五十領と、大名家に伝えられた江戸時代の能装束約三十領を展示するとともに、それを取り巻くさまざまな要素を幅広く紹介し、あわせて、消滅しつつある養蚕の技術や道具、繭・生糸などを展示し、伝統文化の現状と将来を考えた。