学芸員コラム
2026年5月8日
第173回 「筑前化物絵巻」と「人新世」の妖怪たち
2024年、テレビ東京系のバラエティ番組「開運!なんでも鑑定団」に、妖怪を描いた絵巻が出品され、大きな話題となった。妖怪好き界隈がざわついたのは、これまでまったく知られていなかった妖怪が数多く描かれていたからだ。

完全にイイダコにしか見えない「チョコサイ」は、食うと美味いが、油断していると大群で襲いかかってきて逆に食われてしまうという、ちょこざいな奴である。半球状の体の「天狸(てんり)」は、雨が降る前は腹を上に、晴れる前には背を上にして眠るという、天気予報に使える便利な妖怪である。こうした今まで聞いたこともないような奇妙でゆるい妖怪が多数描かれたこの絵巻は、福岡県鞍手町のある旧家に伝えられていたもので、「筑前化物絵巻」と新たに名づけられた。もっとも、二日市温泉(福岡県筑紫野市)を訪れた諸国の湯治客から聞いた化け物話を描いたものであるため、実際は筑前(福岡県)に限らず全国各地の妖怪が紹介されたものとなっている。現在は鞍手町歴史民俗博物館の寄託資料となっているが、地元の鞍手町以外で展示されるのは、当館で開催中(4/25~6/14)の特別展「妖怪・幻獣づくし」が初めてとなる。

さて、この絵巻はその絵柄のユニークさがもっぱら注目されてきたが、実は詞書の中で妖怪がどのような自然環境の中で現れたのか、ということがかなり具体的に記されており、妖怪と自然環境との関係を考える上で、重要な意味を持つ資料でもある。今回の展覧会では、とりわけそうした点に注目して展示を行っている。
妖怪が人間にはコントロールできない「自然」への畏怖の念から生まれたということは、しばしば指摘されている。山に対する畏れが天狗を、水に対する畏れが河童や龍、ヌシと呼ばれる存在を人間に観念させてきたのである。しかし近年、完新世に次ぐ新たな地質年代として提唱された「人新世(じんしんせい:anthropocene)」の概念は、「自然」に対する素朴な考え方を大きく変えてしまった。人間の活動は、地質に刻まれるほどの不可逆的な変化を地球にもたらしており、もはやこの地表のどこにも「手つかずの自然」など存在しないのである。
「人新世」の始まりをどの時点に置くかは諸説あり、原子爆弾が実用化された1945年とするのが今のところ有力だが、人類はその登場と共に自然を改変し続けており、その意味では人間の目に映る「自然」とは、すでに何らかの形で人間の手が入ったものと考えるべきであろう。そして、今回の展覧会を通じて主張したいのは、妖怪とはまさに、人間によって作り変えられた自然環境の中に現れる、ということである。それを最もわかりやすい形で伝えているのが、「筑前化物絵巻」の中の「蟹の床(とこ)の怪物」のエピソードなのである。まずはそのエピソードを、詞書にしたがって紹介しよう。

長門国大津郡(山口県長門市周辺)の鉄出川は、白鷹村というところに流れ出て海となるが、ここを江尻と言った。鉄出川は水深が深く流れが速いので、江尻には砂が堆積し、満潮時にも膝下までしか水深のない浅い入江だった。ここに「蟹の床」とも「海老(えび)の床」とも呼ばれる一坪ほどの場所があり、古くより「魔所」とされていた。かつては注連縄が張られていたが、白鷹村の旭の宮の神職がいなくなった後は、印の注連縄も流されてわからなくなっていた。土地の者はどのあたりが「蟹の床」か知っていて、あえて踏み込むことはなかったが、よその者は知らず入り込んでしまうこともあった。白鷹村の旭の宮と蓮台寺は絶景のため春には参詣者が多かったが、江尻を渡るのが近道だったため、多くの参詣者が江尻を渡った。この間は海藻売りが出て、魔所を知らせていたが、文政6年(1823)の春にやって来た若者たちは、海藻売りの忠告を無視して「何か出たなら捕まえて食ってしまえ」などと言って魔所に踏み込んでいった。すると砂を蹴立てて丈4尺(約120センチメートル、鯨尺で約152センチメートル)ほどの異形の怪物が立ち上がり、しばらく若者たちを睨みつけて、また砂の中に入っていったという。
鉄出川という川の名称にも表れているように、このエピソードの舞台となった長門国大津郡では、たたら製鉄に用いる砂鉄の採取が盛んに行われていた。その採取方法は「鉄穴(かんな)流し」と呼ばれ、山を掘り崩して土砂を水路に流し、比重の違いを利用して砂と砂鉄を選り分けるというものだった。だが、これによって大量の土砂が川に流れ込むことになったのである。
また、たたら製鉄では、鉄を溶かす燃料として膨大な量の木材を消費する。それは「鉄山」などと呼ばれる山地の森林資源に依存していたが、そのためにたたら製鉄の中心地であった中国山地周辺では森林の荒廃が進み、ほとんど木のないはげ山や草山が広がっていたという。現代人の多くは、江戸時代は緑が豊かだったと思い込んでいるが、実際は極端に森林の荒廃が進んだ時代であった(太田猛彦『森林飽和』NHK出版、2012年)。そして、植生の少ない山からは、大雨が降れば大量の土砂が流出した。
「蟹の床」とは、こうして流出した土砂が堆積してできた、言わば人工の「魔所」だった。河口に大量の土砂が堆積すると、「河口閉塞」と呼ばれる状態になり、氾濫などのリスクが高まる。民俗学者の野本寛一は、こうした河口閉塞が起こりやすい場所に神が祀られている事実に注目する(野本寛一『海岸環境民俗論』白水社、1995年)。「蟹の床」も、注連縄が張られ聖別された場所であった。「魔所」や妖怪を生み出していたのは、実は人間自身の活動であったということを、このエピソードは如実に伝えているのである。
しかし、人間はみずからが生み出したものとは気づかずに「自然」を畏れ、そこに妖怪を見いだす。それは「人新世」のもと、みずからが作り出したマイクロプラスチックや放射性物質、オゾンホールや温暖化、パンデミックといった現象をコントロールできないまま立ち尽くす現代人のありようと重なりはしないか。人類学者のブルーノ・ラトゥールは、「自然」と「文化(人為)」を別のものとして切り分ける近代西洋的な思考が、それらの怪物的な「自然」と「文化」のハイブリッドの増殖を生み出してきたのだ、と警告する(ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」――科学人類学は警告する』新評論、2008年)。 「人新世」の提唱は、人文科学の分野においても、これまで見えていなかったものを見せてくれるように思われる。それは妖怪について考える上でも、大きな意味を持っているように思うのだ。



