◇〝お城〟に託された事情 

/ イメージと現実の世界

 さきごろ、彦根城が世界遺産への登録を目指す作業を進めているとの、〝お城〟好きには楽しみな情報が入ってきました。国内候補に至る道程は前途多難のようですが、姫路城のほかに新たな〝お城〟関連の文化財が加わることで、このジャンル全体での世界的な評価が得られるとすれば、国内外からの総合的な比較・考察を介して、日本の〝お城〟観を再考する絶好の機会となるのではないか、と期待は膨らみます。

 そもそも全国各地には、御当地の事情を背負った〝お城〟が数多く点在しており、今日でも、人々を外敵から守ってくれる頼もしいイメージのもとに、その存在感を地域固有の歴史文化のスタイルと共に保ち続けています。実のところ〝お城〟に托されている親愛の情は、日常の安寧を保障する特別な対象へ寄せられた、人々の信頼の表れでもあるのでしょう。言わばこうした感覚が、地域の生活誌の視界の内に収められた〝お城〟の魅力の源泉にほかならないのであって、おそらくは、人々の思いの数だけ郷愁にも似た懐古の憧憬が醸成され、地元の〝お城〟観を豊かなものにしていくのでした。

 ところで 彦根城においては、世界遺産に登録される理由付けのために、先行する姫路城との差別化を図るべく、納得のいくオリジナルの説明内容を模索中のようです。そこでは彦根城の個性を「近世日本の統治体制を表す城郭」と掲げ、施設の軍事性に特化した観点から脱して、むしろ平時における政庁としての意義に着目しつつ、〝お城〟を舞台にした空間使用の実態から、積極的にその役割を捉え直そうとする試みがなされています。

 あらためて考えてみれば、軍事仕様だからと言って〝お城〟が戦時にのみ機能するとは限りません。江戸時代の城郭全般に言えることですが、近未来の有事対応を想定しながらも、大名の居所に相応しい平時の武備を表現する〝お城〟の佇まいにこそ、時代の求めるリアルな事情が窺えるのであって、仮想の戦闘場面を持ち出して迄のイメージ中心の軍事機能の評価には、よほど慎重な態度が求められます。有事対応の城郭建造物群が数多く現存する姫路城内の特殊事情と異なり、幸いにも、御殿遺構や庭園などの生活面を色濃く留める彦根城一帯の環境にあっては、平時運用という〝お城〟の現実に着目することの方が、姫路城には望むべくもない、この城に期待される稀有の〝強み〟ともなり得るのでした。

◇ 最強の〝お城〟とは・・・ 

/ 名城であるがゆえに

 私としては常日頃、城郭史研究の立場から気になっていることがあります。〝お城〟を軍事施設であるとする定義に異論はありませんが、その機能面での優劣の評価に着目するあまり、その城の価値基準を〝強弱〟で判断してしまう一般の傾向が認められるのです。しかも、遺構に対する軍事性の検証については、頭の中での戦闘シーン(シミュレーション)というVR世界の感覚に基づいており、やはり恣意的な印象論の域を出ない分析結果によるもので、〝本当にそうであるのか?〟肝心なところでの論拠を覚束なくしているのでした。

 当然のことながら、強固な軍事施設で擁護された城郭が、このジャンルを代表する優良物件としての評価の序列を高めるのですが、ただ城郭の価値基準をその一点にのみ限定してよいものかどうか、正直なところ確かなことはわかりません。とりわけ、政治的な存在と言える近世の〝お城〟では、築城の背景となる個々のT.P.O. によって、真に求められる「最強」のスタイルは大きく異なります。時に、城主の実力に釣合わない軍事施設が用意される事例も散見され、『黒田家譜』が語る広島城での意図のように、自身の居城をわざと弱く仕立てる軍事上のメリットは、既に新時代の世情の変化に伴い幅広く承知されていたのでしょう。何もすき好んで、天下人の不審を招く築城を行う必要はないのです。

 

 今年、姫路城は世界遺産の登録から30年を迎えました。〝お城〟という歴史的環境のイメージにおいて、そのスタイルを代表する名城としての誉れ高き姫路城。白鷺に例えられる景観の美しさに心を奪われながら、本物の建造物が林立する中を彷徨(さまよ)い歩くうちに、世界遺産レベルの不思議な時空体験にすっかり酔わされてしまいます。そのこと自体はまことに素晴らしいのですが、もしも「名城」であるがゆえの姫路城への自負の思いが、〝他城より優れていなければならない〟とする窮屈な行論へと私たちを導くのであれば、その先には、戦時を想定した〝お城〟の特殊事情に捉われた〝思考のバイアス〟が働くことに、十分な注意が必要です。

 果たして「名城」への条件が、「最強」の軍事施設であることに直結するのでしょうか。事によると〝わかりやすさ〟の言説を求める現場特有の嗜好感覚によって、むしろ姫路城に肩身の狭い思いを強いているのかもしれません。

 その〝強さ〟の工夫に加えて、〝美しさ〟のパワーにも圧倒される姫路城。

 いったい、この〝お城〟に託された個性とは、どのようなものなのでしょうか。

◇ A or B から、A and B の発想へ 

/ 時々〝お城〟の自慢

 例えば、灰色(グレー)という色彩の特性を考えようとする場合、それを「黒」か「白」かの選別の判断ではなく、双方の要素を帯びつつも、あるがままの自然な形での「灰色」という概念を、そこに見出しておきたいのです。つまり「A or B」の解は、「A」か「B」のどちらかに限定されますが、「A and B」の方式でなら、「C」という新たな思考の領域がそこに広がることになります。私としては、軍事施設であるか否かを一義的な基準として短絡的に〝お城〟の是非を判別するのではなく、まずは、その構成要素の全体像を把握しておきたいのです。そこでは、〝お城〟の〝美しさ〟も立派な個性であると正当に評価することができますし、勿論、〝強さ〟の質の吟味や〝美しさ〟との併存だって可能なわけですから・・・

 

 姫路の文化人として著名な阿部知二が、コラム記事(『山陽新報』昭和31年5月5日)に面白い回想を寄せていました。太平洋戦争の敗戦から数年後、イギリスに滞在することがあった阿部は、いつも姫路城の写真を携帯していて、「身元保証書」のように事あるごとにそれを見せたそうです。すると、「うん、これはたしかにりっぱだ」とお世辞抜きに感心され、阿部自身の値打ちも上ったように感じたといいます。日本の〝お城〟のことをよく知らない国の人にも、姫路城の姿は賞賛に値する存在なのであって、その普遍的な価値に伴うポテンシャルの高さは、おそらく世界中で共感されるべきものなのでしょう。幸いなことに、いつも身近な世界遺産と暮らしている私たちとしては、この〝お城〟のことをもっと素直に自慢しても良いのではないか、と、この記事を読んで思うようになりました。

 なお地元情報ですが、姫路城が纏(まと)う白さの造形美をじっくり味わうためには、少なくとも曇天の時の方が良いことを私は知っています。連日の猛暑のもとで、そろそろ日陰の優しさが恋しくなってきた今日この頃です。どうか、ご自愛ください。