学芸員コラム
2022年8月12日
第142回「鬼滅」は可能か?
人を食う「鬼」と、その滅殺を使命とする剣士たちとの戦いを描き、一世を風靡した吾峠呼世晴のマンガ『鬼滅の刃』。その終盤近く、遂に対峙した鬼たちの首魁・鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)は、主人公である竈門炭治郞(かまどたんじろう)に向かってこう言い放つ。
私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え。何も難しく考える必要はない。雨が風が山の噴火が大地の揺れが、どれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない。
(第181話「大災」)
家族を無惨に皆殺しにされている炭治郞は、この発言に当然のことながらブチ切れる。そして、無惨との過酷をきわめる最終決戦が幕を開けるのである。
少年マンガならではの熱い展開だが、「鬼」がリアルに存在するものと信じられていた平安時代において、鬼を滅ぼすこと、すなわち「鬼滅」は不可能であったと言ったら驚くだろうか。
12世紀前半の成立とされる説話集『今昔物語集』、その巻第二十七(「本朝付霊鬼」)は、それが書かれたころとほぼ同時代に語られていた不思議な話を集めたものとなっている。いわば平安京の「都市伝説」である。この中には、鬼が登場する話もいくつか記されているのだが、鬼が人間によって退治されるというような話は一つもない。鬼によってもたらされる恐ろしい結果だけが語られ、人びとはそれに対してただ恐れるだけなのである。
例えば第七「在原業平の中将の女、鬼に食はれし語」、第八「内裏の松原において、鬼、人の形となりて女を食ひし語」、第九「官の朝庁に参れる弁、鬼の為に食はれし語」は、いずれも人が鬼に食われる話であるが、食い残された体の一部が後に残されるだけで、鬼の姿すら描写されない。第十三「近江国安義の橋の鬼、人を食ひし語」では、人が恐れて行くことがない安義の橋を渡ってみせると大口を叩いた男が、橋の上で鬼に追われ、命からがら逃げ帰るが、その後、弟に化けてやって来た鬼のために結局殺されてしまう。この話は、まったく無駄なことをして命を落としたのは愚かなことだと、聞く人はみな男をののしったと締められている。ここには、鬼に対する人びとの諦念を感じ取ることができる。鬼には、何をしても無駄だ。まさに「大災」に遭ったようなものだと諦めるしかない。そんな無力さがあらわれているように思われるのである。
いっぽう、第三十五「光ありて死人の傍に来れる野猪の殺されし語」、第三十六「播磨国の印南野(いなみの)に於て野猪を殺しゝ語」は、死者の葬送の場にあらわれた怪しいものを、初めは鬼だと思い込んで恐れるが、刀で斬り殺したところ、その正体は大きな「野猪(くさいなぎ:狸のこととも)」だったという話である。ここには、殺すことができるのは鬼ではなく、「野猪」のような獣が化けたものに違いない、という思考が透けて見える。また第四十四「鈴鹿山を通る三人、知らざる堂に入りて宿りし語」は、鬼が棲むという鈴鹿山の山中の堂に宿を取った三人の若者が、夜中さまざまな怪異に遭遇するが、それに負けず朝まで過ごし、無事山を越えるという話である。この話は、堂に棲むものは鬼ではなく、おそらく人を化かす狐であったのだろう、本当の鬼であったのなら、無事で済むはずがない――と締められている。
このように、平安時代においては、鬼は人の力をはるかに超えた存在であり、それをどうにかするというのは無理な話だと考えられていた。人にできるのは、せいぜい鬼を避けるか、追い払う程度のことであった。第二十三「播磨国の鬼、人の家に来りて射られし語」では、陰陽師の指示に従って物忌(ものいみ:一定の期間、家の中に固く閉じこもること。ステイホーム)をすることで鬼を避けようとし、また矢を射て鬼を追い払っている。『今昔物語集』巻第二十四第十六「安倍晴明、忠行に随ひて道を習ひし語」では、陰陽師として名高い安倍晴明がまだ若い時に、いち早く鬼の到来を察知し、師の賀茂忠行を感嘆させたというエピソードが紹介されているが、結局忠行は術で鬼から姿を隠しただけで、鬼を退散させてすらいない。現在のエンターテインメントの中では陰陽師が妖怪を退治するところがよく描かれるが、実際の陰陽師はそんなことはしない。陰陽師とは天地にあらわれたさまざまな予兆を読み取り、その対処の方法について進言する役割を担った人びとで、現在で言えば気象予報士のようなものだった。その本分は「占い」と「祭祀」であり、「物忌」のように鬼を避ける方法を指示することはあっても、鬼と戦うことはなかったのである。気象予報士が天気を変えることができないのと同じように。
平安時代に、鬼を退治するような話はほぼ存在しなかった。こう言うと、疑問を感じる人もいるだろう。有名な「酒呑童子」の物語では、平安時代の武将・源頼光たちが鬼を退治しているではないか、と。
時は正暦(990~995)のころ、京の公家たちの姫君・若君が次々と失踪することがあり、陰陽師の安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼「酒呑童子」のしわざであることが判明した。源頼光と「四天王」と呼ばれた4人の従者(渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・卜部季武)が討伐に向かうことになり、山伏に変装して「酒呑童子」の城に入り込む。頼光たちは童子に酒を勧めて油断させ、酔いつぶれて眠ったところを襲撃し、その首をはねる――というのが、「酒呑童子」の物語のおおまかなストーリーである。だが結論から言うと、「酒呑童子」の物語は、時代は平安時代に設定されているが、物語自体はずっと後、室町時代に創られたもので、平安時代には「酒呑童子」の話など存在しなかったのである。
史実としては、正暦5年(994)に京都と国々の盗人の捜索のために源満正・平維時・源頼親・源頼信の四人の武者が山々に派遣されたということがあり(『日本紀略』『本朝世紀』)、これがのちに源頼光と四天王の酒呑童子退治の物語へと昇華していったと考えられる(鈴木哲雄『酒天童子絵巻の謎』岩波書店、2019年)。鎌倉時代の建長6年(1254)成立の説話集『古今著聞集』には、源頼光と四天王が「鬼同丸」という盗賊を討伐するエピソードがあり、酒呑童子物語の原型と見ることができる。ただ、これも「鬼」ではなく盗賊退治の話であることに留意する必要があるだろう。
こうした怪物退治の物語が数多く創られるようになるのは、中世に入ってからであった。その背景にあったのは、武士の台頭である。怪物退治の物語は、武士の勇猛さを象徴的に表現するためのものとして、この時代に創られたのである。加えて、怪物退治の物語の多くは、武家の正統性の根拠としての意味を帯びていた。「酒呑童子」の物語は、摂津源氏嫡流の源頼光を怪物退治の英雄に仕立てた物語となっているが、これが鎌倉、室町、さらに江戸と続く武士による新たな政権――幕府の権威の支柱となった源氏の血統を礼賛するものであることは言うまでもないだろう。
平安時代において「鬼」とは人知を超えた存在であり、退治できるようなものではなかった。そもそもそれは変幻自在の霊的存在であり、滅ぼすことのできる肉体を持った存在ではなかったのである。先の「安倍晴明、忠行に随ひて道を習ひし語」において、鬼は普通の人の目には見えない存在として描かれていた。10世紀の『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、「おに」とは「隠(おん)」、すなわち「目に見えない」という意味の言葉が転訛したものという説が紹介されている。この語源説が妥当なものかどうかはともかく、少なくとも当時、鬼とは目に見えない霊的な存在だという認識が広く共有されていたことは間違いない。
ところが、酒呑童子の物語に描かれる鬼は、刀で斬られれば血を流し、殺害することも可能な肉体を持つ怪物になり下がっているのだ。ここで酒呑童子物語の原型となったのが、盗賊退治の話であったことを思い出してみよう。鬼の伝説が伝わる大江山や鈴鹿山は、鎌倉時代には盗賊の巣窟として知られていた。こうした盗賊の追捕は、中世における武士の重要な役割の一つであり、それゆえに盗賊退治のエピソードは武士の「勇猛さ」を示すものとして特別な意味をもったと考えられる。この盗賊が、やがて超常的な存在である「鬼」として表象され、より多くの想像力に彩られたものになっていったのが「鬼退治」の物語ではなかったか。
つまり、かつては人知を超えた存在であった「鬼」が、中世には盗賊に等しい存在にまで非-神秘化されてしまった、ということなのだ。それは「鬼」が概念としても「退治」されてしまったことを意味する。事実、中世以降、「鬼」のリアリティは急速に失われ、「お話」の中だけの存在、絵画や造形の中だけの存在へとその位相を変えていった。現代の私たちが知っている「鬼」は、この「退治」された後のものなのだ。言わば、(『鬼滅の刃』の最終回で描かれていたように)「鬼滅」後の世界を私たちは生きているのである。