7月16日(土)から9月11日(日)にかけて、当館では特別展「立体妖怪図鑑―妖怪天国ニッポンpartⅡ―」を開催する。平成21年春に開催した特別展「妖怪天国ニッポン―絵巻からマンガまで―」は、江戸時代から現代までの妖怪画の歴史をたどった展覧会であったが、その「partⅡ」として企画した今回の特別展は、タイトルが明確に示しているように、妖怪の立体造形の歴史をたどるものとなっている。

 とは言っても、実は妖怪の立体造形はほぼ近代以降のものである。こう言うと多くの方は意外に思われるだろう。もちろん信仰の対象となっているような異形の怪物(天狗や鬼など)の造形は古くからあった。ここで取り上げるのは、娯楽の対象として作られた妖怪の立体造形である。

 江戸時代には、それまで怖れの対象であったはずの妖怪が、娯楽の対象へと変容していった。その背景としては、都市社会の発達や自然観の変化などが考えられるのだが、いずれにしてもこの時代に妖怪は、得体の知れない恐ろしい存在から親しみやすい「キャラクター」へと変身を遂げていった。数多くの妖怪画が描かれたのは「見て楽しむ」ためであり、絵双六やカルタ、おもちゃ絵などの「妖怪玩具」も作られた。しかし、こうした「妖怪娯楽」の大半は平面的なもので、立体物は不自然なほど少なかったのである。例えば、土人形や張り子といった玩具は、型を用いて大量に作ることができるので、子どものおもちゃとして多く用いられたが、なぜか妖怪を題材としたものはほとんど見られなかった。

 おそらく江戸時代の人々は、妖怪を立体で表現することに何かタブーのような感覚を抱いていたのだろうと思われる。人や動物などの生き物をかたどった立体物には、独特の「存在感」というか、「気配」のようなものが備わっている。筆者はそれを「モノの気配」――あるいは「もののけ」と呼んでいる。この「もののけ」のゆえに、妖怪の立体物は娯楽の対象とするにはあまりにもリアリティがありすぎると感じられたのだろう。結局、江戸時代において個人が楽しみの対象として所有することができる立体物は、根付程度の大きさのものが精一杯だったようだ。

 こうした立体物に対する感覚が変容するのは近代に入ってからである。それを後押ししたのが、伝統的な玩具や人形を収集するコレクターの出現であった。明治も後半になると、政府が推し進めた急速な近代化・西洋化に反発し、江戸時代の文化にノスタルジアを覚える人々が現れる。そうした人々が熱心に集めたのが、土人形や張り子といった伝統的な玩具や人形だった。やがてそうした玩具は「郷土玩具」と呼ばれるようになり、昭和初期にはその収集がブームの様相を呈するようになる。

 この郷土玩具ブームの折に、妖怪を題材とした郷土玩具が生み出されているのである。妖怪は、郷土玩具のコレクターたちが求めた「郷土色(ローカルカラー)」に満ちた題材として好まれたのだ。さらに戦後には、1950年代の河童ブーム、1960年代の民芸ブームなどのなかで多くの「妖怪郷土玩具」が新たに創作されている。

 そして、昭和41年(1966)に発売された「ウルトラQ」の怪獣のソフトビニール人形が大ヒット商品となったことによって、異形の造形物をめぐる感性の歴史は新たなステージに入った。ここに至って、異形の造形物は忌避の対象から憧憬の対象へと移行したのだ。さらに1980年代の特撮ブームの折には、怪獣や海外SF映画の怪物の立体造形物を自作したり、またそれを複製してキットとして販売する者が現れる。これが現在の「フィギュア」と称されるサブカルチャーの前身であった。現在、「フィギュア」と言えばアニメの美少女などを題材としたものが主流だが、もともとは怪獣や怪物といった異形の造形物を求める心性が原動力となって生み出されたものであった。

 そして現在は、おそらくこれまでで最も妖怪の造形物が愛されている時代だと思われる。それを象徴しているのが、各地で行われている妖怪の造形コンテストである。海洋堂の創業者・宮脇修氏が始めた「四万十川カッパ造形大賞」を皮切りに、香川県・小豆島の「妖怪造形大賞」、兵庫県福崎町の「全国妖怪造形コンテスト」、愛媛県鬼北町の「鬼造形大賞」などが続々と誕生し、いずれも多くの作品を集めていることが、妖怪の造形物に対する現代人の思い入れの深さを物語っていよう。これらの造形コンテストの作品が一堂に会するのが、今回の展覧会の意義でもある。

 これらの造形コンテストのなかでも、筆者が特に関心を持っているのは、小豆島で古い建物やモノを活かしたアートのプロジェクトを展開しているMeiPAMが開催している「妖怪造形大賞」である。他の造形コンテストは、「カッパ」「天狗」「鬼」など特定の妖怪にテーマが絞られているのに対して、「妖怪造形大賞」は単に「妖怪」とするだけで、何の限定も設けてはいない。その結果、「妖怪造形大賞」には、制作者が考えたオリジナル妖怪が数多く寄せられることになった。それらがいかにも現代的で、抜群に面白いのである。

「図1 怨琉金」

 例えば行平咲氏制作の「怨琉金(ウラミリュウキン)」という作品。ある女性が自分に害をなす女性を憎むあまり、その生霊が飼っていた琉金に取り憑いて妖怪化したものだというが、憎い相手を破滅させるために、無数の目で決定的な失敗を探しているという点が、インターネット上で他人の粗探しをして攻撃する人々を彷彿とさせる。「妖怪造形大賞」には、これと同様に多くの目を持った作品がしばしば見られるが、それは他人の視線を常に気にかけている現代人の不安の形を表しているように思われる。

「図2 きのせい」

 小西桂代・小西智花氏の「きのせい」という作品も、同じく「視線に対する不安」を妖怪化したものである。森のなかでどこからか視線を感じるが、振り返っても誰もいない。そんな時は、この「きのせい」が木の陰から覗いているのだという。「きのせい」は「木の精」であり、また「気のせい」でもあるという言葉遊びとしても秀逸だが、かわいらしくも独特の存在感のあるその造形もまた、「木の精/気のせい」いずれの意味でも十分に成立するものとなっている。

「図3 カボソ」

 一方、民俗的なものに根ざした作品もあるのが、筆者にとっては魅力である。「妖怪造形大賞」の応募作ではないが、小豆島在住の画家・柳生忠平氏が描いた妖怪の絵を元に、USJの「ジュラシック・パーク」の恐竜の造形も手がけた米田武志氏が立体化した「カボソ」は、本展覧会のチラシ・ポスターにも使用しているほどインパクトの強い作品である。「カボソ」は小豆島ではよく知られた妖怪で、カワウソのことでもある。家の外から知人の声で呼びかけてくるが、出ていっても誰もいない時は、「カボソに呼ばれた」というそうだ。作品の方はかなり怖い感じだが、実際にはピンポンダッシュのようなたわいもない悪戯が好きな、かわいらしい妖怪である。化けぶりを褒めてやると、調子に乗っていろいろなものに化けるというから、ますますもってかわいらしい。

 柳生氏は子どもの頃、近所に「カボソ」を神様として祀った祠があったことを覚えている。柳生氏は今、妖怪の絵を専門に描く「絵描鬼(えかき)」を名乗っているが、その根底には「カボソ」をめぐる民俗に触れた経験が横たわっているのかもしれない。現代的であると同時に、どこかに「近代以前」を引きずっている。妖怪造形は、そうした相反する要素が絶妙なバランスで共存しうる、稀有な題材であるといえるだろう。