前回の馬出[うまだし]に引き続き、ここでは枡形[ますがた]について考えてみます。城郭のガイド本に出てくる一般的な解説としては、城内の出入口を構成する四角形の小空間を枡形とし、江戸時代の軍学でも盛んに事例研究が行われました。その典型的なものは、直交する2つの城門(手前:高麗門/奥:櫓門)で〝門前〟を囲い込み、動線を曲げて横矢を効かせることで高い防御機能が得られるとされます。

 枡形の意味については、開口部の厳重なガードのほか、城外と城内の間に置かれた緩衝のエリアであることから、出入りのセキュリティーチェックの機能や、枡形を容器に見立てた人馬の概数把握にも便宜があったと言います。ただ、注意しなければならないのは、枡形という用語で類型されるタイプも様々なら、枡形に向けられる解釈にも様々なものが充てられるということです。どれが〝正解/不正解〟というわけではありません(城郭の軍事性を検証する方法論自体が、まだ不確定要素の多い段階なのですから・・・)。

 ところで、前回の馬出のコラムでは〝礼〟に規定された〝門前〟空間について紹介しました。その際『日本霊異記』を題材に、寺の南門から仏様を拝むことの出来る場面設定を見てきたのですが、開口部の視線を通して展開する〝見る⇔見られる〟関係と、そこに醸成される連帯感の強烈な意識に関心を覚えました。外側から分離・隔絶された内部の空間では、境界に遮蔽施設を伴うことで、視線さえもが制限・管理された特別の未知なる領域が現出する・・・。そんな不思議な空間との対話が、開口部を演出する作為のもとに生み出されたとすれば、それを体感した人は、どのような風景を心に刻むのでしょうか。

 城下の町屋と切り離されて侍屋敷の広がる姫路城の中曲輪。その十一ある開口部には、本多氏の時代(元和期以降)に枡形による関門整備が行われたと言います。天守が聳え立つ内曲輪(主城部/本丸~三ノ丸)の仕様と違い、石垣の構築部位は虎口周辺に限られ、左右の土塁を切り開いて枡形の四角形が確保されました。したがって、枡形を構成する二つの城門は直交することなく、座標沿ってまっすぐ第一の門を通過したあと、進行動線を斜めに少しズラしつつ、第二の門を必然の正面前方へ開口することとなります。

 厳密に言えば、ここでの枡形内の動線は、軍事的配慮とされる〝折れ〟を呈していないのでした。そして、二つの門を視線で結ぶ時、鵰[くまたか]門・車門などでは、その先には姫路城天守の雄姿を認める構図が用意されていました。すなわち、城内に進む者は枡形内に入ってから天守に導かれて入城していく体感をそこに伴うのであり、逆に一つ目の門を通過する動線の同一線上に二つの門を置かないことで、開門時の枡形の外から、天守への見透かしを避ける機能も果しています。この〝見え隠れ〟の作為がもたらす平時運用での視覚的な効果は、これまでの城郭研究であまり採り上げられなかった、新しい観点からの問題意識と言えるのではないでしょうか。

 〔※ 第一の門(開門時)の〝門前〟から扉の開かれた先を見通した視線は、枡形の遮蔽によって天守の姿は隠されていますが、門を通過した時点で、そこから第二の門に向けて視線を斜めに移動させると、開口部から天守を見通すことのできるという空間演出の技を、ここでは確認してください。また、同種の現象としては、街路に面した門とそこから導かれる玄関への斜行した動線など、旧家や寺院の〝玄関前〟空間にも、〝見え隠れ〟の効果を前提にした作為の工夫が見受けられます。〕

 こうして日本の空間文化の事例を検証してみますと、〝見え隠れ〟をキーワードに随分と視線に配慮した繊細な意識を読み取ることができます。丁字路になった道の突当りに、焼物の鍾馗さんや「石敢当」の標示物が置かれるのも、それなりの理由がありそうです。おそらく、外部からの圧倒的な視線に耐え得るための対処方法が、それが集中する特定の場所では求められたのでしょう。城郭の石垣では進入動線の折れ曲りの重要ポイント(視線のアイストップの位置)に、「鏡石」と研究者が称する大きな石がはめ込まれていますが、これなども築城者の権勢の誇示に留まらない、空間構造の心理(邪悪なものをはね返す)の一端が秘められているのかもしれません。

 姫路城の正面玄関に相応しい華やかな意匠で南面して立ち上がる菱ノ門。内曲輪の大手からの動線が南⇒北へ向かうことから、進行方向の大筋としては直交の関係ではなく、視線を正面に受ける形状となります。ただし、その〝門前〟において通路は、門の東に続く石垣に突当って左折し[A]、さらに進んで門の南西の所の石垣で再び右折する[B]ので、菱ノ門の直前にならないと開口部との直接の対峙は望めません。ここでは動線の2折を経由しますので、三ノ丸北端の動線の起点[A]から、視界の内に菱ノ門の姿を完全に収めることは困難です。進行者は突当りの石垣を見据えて、菱ノ門東方の塀に自身の右側(攻撃を受けると弱いとされる)を晒しながら、鉄砲の銃眼や矢狭間の連なる[B]に至るまでのスロープを恐る恐る上っていきます。

 なお、この事例で注意しておく必要があるのは、菱ノ門の〝門前〟が典型的な枡形空間とは言えないということです。すなわち、〝門前〟を仕切る第一の門が所在せず、四角形の閉鎖された空間を成立させないのでした。どちらかと言えば、菱ノ門の開口部を隠すための[かざし]の塀に防御機能の主務を見出して、それが意図的に〝門前〟に用意されたことの方を評価したいと思います。スロープとなって外部から見透かしやすい箇所ですから、城内(守城)側の行動を見せないための殊更の遮蔽設備が求められたのでしょう。

 参考までに、篠山城でも二ノ丸に入るための北の大手部分はスロープとなって登り坂を呈しており、そのための見透かされない配慮として、土橋を渡る通路部分をわざわざ廊下橋(屋根と壁付きの橋)にしていました。要は城内の動きを隠すことに第一の目的が定められた作為に相違ありません。攻め手の視界を制限する手法としては、枡形以外にも[かざし]の塀や廊下橋など、様々なアイテムが考案されていたことになり、姫路城の菱ノ門と、その〝門前〟の空間を、枡形という系列内に無理やり嵌め込んで考えるべきではないのです。素直な縄張形状の認識・検証を経て、菱ノ門の〝ありのまま〟の真相の扉が開きます。

 視界を隠されて〝門前〟に到達した攻城側は、菱ノ門の開口部の正面前方に、いノ門を目にします。そして、いノ門から(い→ろ→は→に→ほ)と続く、城内の迷路の罠に誘われるがまま、ごく自然の流れで足を踏み入れていくのでした。何気ない視線の操作に、城郭設計の熟練の技が控えています。ご用心!