国土地理院によると、日本の東端は南鳥島(東京都)、西端は与那国(よなぐに)島(沖縄県)、南端は沖ノ鳥島(東京都)、北端は択捉(えとろふ)島(北海道)である。この中で通常の交通機関で行ける所は与那国島のみ。かねてより行きたいと思っていたが、なかなか行く機会がなかった。

 飛行機による旅行が趣味の友人から、沖縄県の島々を飛行機で巡る一泊二日のツアーの誘いを受け、二つ返事で参加した。新型コロナウイルスが流行する前の、令和元年(2019)12月初日のことである。

 朝、伊丹空港から福岡空港へ、昼食の後に那覇空港へ向かう。那覇空港は、平成17年(2005)以来二度目で、ターミナルは拡張され広々としていた。夕刻に石垣島へ飛ぶ。途中右翼下に宮古島の灯りを見て新石垣空港着陸。バスで市内へ向かう。石垣港近くが終点。近隣の島への連絡船桟橋の手前に、ボクシング世界チャンピオン具志堅用(ぐしけんよう)(こう)選手の銅像がある。石垣市役所と竹富町役場をみながらホテルへ、ここで一泊。石垣島は、コンビニやスーパーマーケット、全国に展開しているショップも多く離島というイメージはない。夕食は閉店間際の食堂で石垣そばを食べた。

 翌朝、地元の豊かな食材による朝食後、ホテルのバスで畑の中の道を新石垣空港に向かう。しだいに風が強くなってきた。与那国空港行きは、小型のプロペラ旅客機で朝昼晩の1日3便、当初は朝に乗った飛行機で折り返すという計画だったが、これでは日本最西端の「西崎(いりざき)」へいく時間がないので、石垣島への帰りは事前に昼の便に変更していた。強風で与那国空港へ着陸できない場合は、新石垣空港へ引き返すのを承知ということで離陸。30分のフライトで与那国島がみえる。機体はかなりゆれたが無事に着陸した。空港は島の北側の海岸に面し、市街は空港の東側にある。

 与那国島は東西約11キロメートル、南北約4キロメートルでラグビーボールの様な長円形をしている。島の外周を巡る道路があるので、予約していたレンタカーで一周する。西崎(いりざき)へ約10分、吹き飛ばされそうな強烈な西風の中を展望台へ、「日本最西端」の石碑がある。台湾まで約100キロメートル。好天の日には見えるとのことだが、荒天で全く見えない。

与那国島案内図
日本最西端碑

 太古の時代に、台湾から舟で与那国島へ人が渡ってきたと推定されており、その航海の実験をテレビ番組でみたことがある。与那国島は、さすがに離島のイメージ感が強い。島の周囲の道は整備されているが、牧場の柵はなく、道路の何カ所かに「テキサスゲート」という牛や馬が市街の方へ入らないようにする仕掛けがある。幅2~3メートルの格子状の鉄枠が道路に取り付けられており、牛馬がそこへ(ひづめ)を踏み入れると嫌がるような仕組みになっているとのこと。車を降りて、写真を撮ろうとした時に、与那国馬の一群がやってきたため、慌てて車中へ戻らざるを得なかった。シーズンオフで、観光客は少なかったが、レンタサイクルやレンタルバイクで島を巡る人の姿もみられた。

与那国馬の一群にとり囲まれる

 島の南側にテレビドラマのロケで使われた「ドクターコトーの診療所」、大河ドラマ「琉球の風」のロケ地の碑があり、東南側には「神立岩」、潜水艦のような「軍艦岩」などの名所がある。

 馬や牛が放牧されている「東崎(あがりざき)」へ、西崎ほどではないが、やはり強風の中、灯台へ向かう。その後、車で北側の海岸近くまで下って、砂浜の見える展望台まで行き、島内一周3時間弱のツアーは終了した。

東崎の景色

 島の内陸にある世界最大の()である「ヨナクニサン」の昆虫館、泡盛(あわもり)の醸造元は、時間がなく見学できなかった。また、近年確認された海底の遺跡が潜水艇でみられるツアーは、冬場は休止であった。

 ガソリンを満タンにして車を返却するのだが、メーターは減っていないので、スタンドでわずかに給油し「満タン証明書」をもらって、レンタカー会社へ返却する。

 新石垣空港へ戻り、宮古島へ、ここは南国リゾート地の感がある。空港内の人気のハンバーカー店で昼食後、那覇空港へ、友人は羽田空港へ向かうため、ここで別れ伊丹空港へ飛んで弾丸ツアーを終えた。

 与那国島は北側の町並みと南側の集落以外は自然豊かで、最果て感にあふれている。コロナが終息したら再訪し島の内陸部へも行ってみたいと思う。