このコラムは、年に一度担当していますが、令和4年度末の再任用の終了にあたり、担当者からこれまでの約40年の学芸員生活を振り返るような内容でということで、本年度二回目の依頼を受けました。いろいろ考えましたが、まだ志半ばという感じですので、最近気になっていることを記して、今後につなげていきたいと思います。

 ここ数年、古記録類を調べている中で、因縁に関わる事象をみつけることが増えました。その一つが、鎌倉時代の圓教寺長吏俊源にまつわる因縁話で、前回担当したこのコラムに記しています(第145回 2022年11月)。今回は、館蔵資料でまだ全容が紹介されていない「淡路名所図会」に記された話を紹介したいと思います。この話を読んだときは、あまりのことに驚きました。その内容を説話に関係ない部分は省略し、意訳して記すことにします。

小井村観音堂 
 東向の三間四方のお堂で、本尊は行基作の90㎝ほどの十一面観音立像。霊験あらたかで、祈願する者は福を得ることが、昔からいくつかあったといわれている。縁起が一巻ある。脇坂氏の家臣新井半左衛門がこの地を与えられた。観音堂の前にある高さ16間(28.8m)の松の木は、代々霊木として刃物を当てる者も無かったが、半左衛門は無謀にもこの木を切って板にして、自分の屋敷の材木にした。

 同年夏の頃、半左衛門の9歳になる娘が、急に発熱、腹痛を起こし、「観音堂の境内の霊木を許しも無く切り取ったことを憎み、お前の愛娘を取り殺してやる。」と恨みの言葉を発して亡くなった。半左衛門は怒り嘆いて観音堂へ行き、観音像の胸に鉄砲を放ったが疵は付かなかった。怒って台座のあたりに大便をして穢して帰った。傍若無人の所業に言葉も無かった。村の人は、住蓮寺と法蓮寺の僧を迎えて、汚れを洗い観音に罪を詫びた。十日経たずして、半左衛門は脇坂安治の怒りを受けて追放され、老母と妻をつれて志筑の浦を徘徊して過ごすことになった。これは観音にした罪の報いである。

 その後、慶長18年(1613)諸国の浪人が集められた時、半左衛門もこれに参戦して大坂城に籠城したが、音信は途切れ討ち死にしたようで、彼の行く末を知る者は無かった。母親と妻は志筑のあたりをさまよっていたが、飢饉となって妻は母親を海へ突き落とした。妻は一人哀れな姿でいたが、まもなく路頭で野垂れ死んだとのことである。
 仏の憎しみは罪を犯した本人ばかりでなく、母親、妻までもこのような悲惨な姿となることを、人は皆知るところとなった。

 この話が掲載されている「淡路名所図会」は、すべての項目に解説があるわけではなく、その景観状況を記すのみのものが多いのですが、このように縁起まで載せるのは少ないようです。これを載せたのは、編者がかなりの衝撃を受けたことによるものと思われます。ここに登場する観音像を再確認したのは、昨年度ひょうご歴史研究室で刊行された、「淡路島文化財総合調査報告書(一九八八-二〇〇〇)」の編集作業中に、南あわじ市小井(おい)観音堂の調査カードをチェックした時で、カードに貼られた本尊の写真から仏像は室町時代の作と思われ、安土桃山から江戸時代前期のこの話に関わる仏像であるとわかったときは驚きました。仏罰で、梁に頭を打つとか、転ぶなどのイメージではなく、子供から始まり家族が皆悲惨な最後となる生々しい内容が現実味を帯びてきました。今後この観音像を拝する機会があったときは、この説話を明らかにしてしまったことについて、観音様にお詫びしたいと思います。

〔原文〕

小井村観音堂

東向三間四方本尊/十一面観音立像三尺程/行基作/春日明神社鎮坐年曆/不設■別当ハ社家村覚住寺也/当観■(音ヵ)音霊験あらたにして/寄願の輩多く/福を得/たる事、昔よりそこばく也と云/縁起一巻有リ、其趣意ニ云、脇坂/氏の臣新井半左衛門当処を給/地す、観音堂の前に松大木長サ/十六間なるものあり、世々霊木と/して刃物を触る者もなかりしを半左衛門/無道人にてこれを切らせて板にひかせ/家屋敷の造料にあて同年夏の/頃半左衛門か一女九歳になりけるか/急に腹痛抱熱して口はしりて/云、家境内の秘木を赦もなく/伐取たるにくしみに汝か愛娘を/とり殺す也と、のゝしりいかり終に/死たり、半左衛門大ニいかりなげき/尊上し小井村観音に至り鉄/砲を持て観音の胸板を射/るといへとも疵つかず、■々怒りて/蓮台の辺に大便をして穢し置/帰りぬ、ぼうじゃくいハん方なし/村ノ人々住蓮寺〈立石村ニ廃跡のこる〉法蓮寺/〈国分寺村ニ寺跡あり〉の僧をむかへ穢をあらひ去リ/罪を報せし也、時に十日を暦すして/半左衛門ハ安治の勘気を請て家/を追放せられ、老母妻女を具して志筑/の浦にはいくわいして其日を過られけり/是則観音の罪忽に身にむくふ也/けり、其後慶長十八年大坂城へ諸国の/浪人を招き集られける時半左衛門も/往て籠城し再ひ音信なく討死や/したりけん、其行末しる者なし、母女房/ハ乞食と成て、しづきの辺をさまよひ/居けるが弥飢饉に及び女房ハ母を海へ/つき飛して殺し、其身一人哀なるさま/にて居けるが、ちかき頃路頭にのたれ/死てありしと聞けり、ひとへに薩/陀のにくしみ其身斗リか母女房迄/もかかる悪業をさらしける、人皆しる処也

(判読不能個所は「■」、原文の改行は「/」で示した)