二年目に入った「ひょうご歴史研究室」ですが、初年度のテーマ「播磨国風土記」に引き続き取り組むとともに、二年目の課題とした「赤松氏・山城研究」も本格化しつつあります。
風土記については、「特集:播磨国風土記の新地平」として研究室の紀要創刊号(平成28年3月末刊行)を飾り、研究室風土記班のメンバーの論考が掲載されています。その後、各論考は研究室のHPにも掲載され、紙面と電子情報の両方で、ひょうご歴史研究室の成果を閲覧できるようになりました。

さらに、初年度に実現できなかった巻子本「播磨国風土記」の全幅展示が、兵庫県立考古博物館との共催企画として、9月10日から25日の間、考古博物館で開催することができました。あわせて展示期間中の9月17日(土)には、歴史博物館恒例のひょうご歴史文化フォーラム2016が開催され、「播磨国風土記」をめぐって、古代史・考古学双方からの報告と討論が行われました。参加者数262名という人数はもとより、展示会への初回入館者(初めて考古博物館に来た人)が30%を占め、かつ観覧者全体の満足度が90%、という大成功を収めることができました。今後は、兵庫県内の歴史を伝える最古の文献であり、地名伝承をたくさん載せた兵庫県の宝というべき「播磨国風土記」を、次世代の子どもたちに普及する作業に着手したいと思います。

一方、二年目の中心テーマに据えている「赤松氏と山城研究」についていえば、赤松館跡の所在する上郡町の協力と、県文化財課の指導を受けて、館跡の試掘調査が始まりました。この間に進めた赤松村の絵図調査によって、江戸時代の村絵図にも館跡は明瞭に示されていることが確認され、赤松円心ゆかりの屋敷跡として、赤松氏亡き後も地元で長く伝承されてきたことを物語っています。その場所に発掘の手が入れられるのですから、その成果は否応でも期待が高まります。

伝承の力で言えば5月、上郡町教育長に挨拶に伺った折に聞いた話は感動的でした。赤松小学校が修学旅行で京都に赴き、金閣寺を訪ねると、同寺は児童たちに対して、特別の拝観を用意してくれているというではありませんか。金閣寺を建立した足利義満が幼少の頃、播磨守護の赤松則祐の下で避難生活を送った際の恩義を、このような形で赤松地区の児童たちに返していたのですが、いまでは上郡町の小学校全体に特別拝観が広がっているそうです。なんという歴史の力でしょうか?

平成28年11月