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日記でたどる但州入湯日記

湯治の旅(県内の旅)

上郡(赤穂郡上郡町)在住の佐藤要左衛門なる人物が湯嶋(城崎温泉)へ湯治に出かけている。彼は上郡の有力な商人(呉服商)である。温泉好きであったらしく湯嶋は1844(天保15)年と1848(嘉永元)年の2回訪れている。天保15年の旅は、8月1日に出発して4日に到着している。上郡から湯嶋までの距離はおよそ130㎞であることから、1日約30㎞余り移動していることになる。

湯嶋での逗留は9月14日までの39日間である。逗留の間はさかんに周辺の物見遊山に出かけている。帰りもほぼ同じルートをとっているが、山津谷(たつの市)で2泊している。息子の嫁の実家である中村研堂氏宅に立ち寄ったもので、焼き餅20個を手土産にしている。

1845(弘化2)年に家督を譲った要左衛門は59歳になっていた。隠居様の気楽な旅の様子が目に浮かぶ。ただし彼の残した道中日記には旅の感想や挿絵などは全く記入されていない。行程と金銭の差引きに関する事細かな記入が続く。引退しても商人の癖は抜けなかったようである。ちなみに、手土産の焼き餅は6文。1月半に及ぶ旅で使った費用は、3両3分であった。

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