江戸時代、元禄(げんろく)年間(1688~1704)のある夏の暑い日のことです。今の佐用町安川(さようちょうやすかわ)に住んでいた佐右衛門(さえもん)さんは、村の前の川でたくさんの魚を捕り、家に帰って竹ぐしにさして魚を焼いていました。

すると飼っていた猫(ねこ)がその魚をくわえて縁の下(えんのした)へ逃げこみ、食べてしまいました。
「こら! 悪いことをするな!」
佐右衛門さんはしかりつけましたが、猫の方はそれを聞いた様子もなく、そのうちまた魚を持っていこうと手を出しはじめました。

猫のイメージ画像

佐右衛門さんはとても腹を立て、そばにおいてあった竹の棒で猫をたたきました。ところが、当たりどころが悪かったのでしょうか、そんなに強くたたいたつもりはなかったのに、猫はぱったりとたおれ、そのまま死んでしまいました。

「こりゃ、かわいそうなことをしてしまった。」
佐右衛門さんはくやみましたが、どうにもなりません。しかたがないので前の川原にうめてあげることにしました。

その翌年のことです、佐右衛門さんの奥さんが子供を産みました。生まれて七日目の晩のこと、赤ん坊を奥の部屋に寝かせて、家族がいろりばたでそれぞれの仕事をしていると、赤ん坊の「きゃっ。」という声が聞こえました。佐右衛門さんがおどろいて奥の部屋へとんでいくと、一匹のやせた猫が赤ん坊をくわえてつれていこうとしています。

「なんてことをする!」
佐右衛門さんがどなりつけると、猫は赤ん坊をはなしてどこかへ逃げてしまいました。しかし赤ん坊はすでに意識を失っていて、いろいろ手当てをしましたが、そのかいなく、とうとう死んでしまいました。佐右衛門さんたちはなげき悲しみ、ねんごろにとむらってあげました。

それから一年がたち、また子供が生まれました。ところがその赤ん坊も、ある日の夜中に姿が見えなくなり、家族みんなで探したところ、裏の畑で食い殺されていました。世間では、これは猫のしわざだ、佐右衛門さんが殺してしまった猫がうらみを晴らしているのだ、とうわさし合いました。

それからまた一年、男の子が生まれました。今度こそは、と家中で用心して育てていましたが、ある夜、見はりの家族があまりの眠たさについうとうとしてしまい、はっと眼をあけると、赤ん坊にかけていた着物がなくなっていました。急いで赤ん坊の様子を確かめると、かわいそうなことにもう息をしていませんでした。

佐右衛門さんはすぐに呼びおこされて話を聞きましたが、今度は驚きませんでした。
「実はいま、夢を見ていた。やせた猫がやってきて、『おれはおまえに殺された猫だ。うらみを晴らすためにおまえの子供を三人殺した。でもまだうらみは晴れない。これからもどんどん殺してやる。』と言っていた。やはり猫のしわざだったのや。」

佐右衛門さんは青ざめた顔でぼそぼそとそう話すと、頭をかかえてうずくまりました。家族たちもとてもこわくなり、こうなっては猫のとむらいをねんごろにしてあげるしかないと相談し、小さなお堂を建て、お坊さんを呼んで精いっぱい猫の供養(くよう)をしてあげました。

それで猫が許してくれたのでしょうか、それからは何事もおこらなくなりました。その後に生まれた佐右衛門さんの子供も、無事に大人になったということです。

(『西播怪談実記』をもとに作成)