むかしむかし、大津(おおつ)は小さな貧しい漁村でした。村人は、朝早くから夜おそくまでいっしょうけんめいに働きましたが、暮らしは少しも楽にはなりません。
「もう少し楽に暮らせるように、氏神様(うじがみさま)にお願いしたらどうだろう」
村人たちはそう話し合って、氏神様のお社にお願いしにゆくことになりました。
「どうか、魚がたくさんとれるようにしてください。魚が売れたら立派なお社を建てますから」
みんな頭を下げて、氏神様にお願いしました。するとそれからというもの、漁へ出るたびに大漁です。暮らしは、どんどん豊かになりました。氏神様のお社も、立派なものを造ることができました。
「暮らしは楽になったけど、さびしい村のまんまじゃなあ」
「もっとにぎやかな町になったら、いいのになあ」
そこで村人たちは、また氏神様にお願いをしました。
「どうか、大津をにぎやかな大きい町にしてください。そうすれば、氏神様のお祭りを、もっと盛大にいたしますから」
村人たちは、毎日毎日、氏神様にお願いしました。
そのうちに、大津の港にはたくさんの船が来るようになり、やがて「大津千軒(おおつせんげん)」と呼ばれるほどたくさんの家や店が建ち並んだ、にぎやかな港町になりました。氏神様のお祭りも、あちらこちらから見物人がやってくる、大きなお祭りになりました。
ある年のことです。ものすごい大嵐(おおあらし)が村をおそいました。港につないであった何十そうもの船が、大波でこわれてしずみ、たくさんの村人が亡くなりました。悲しんだ村人は、また氏神様の所へ行ってお願いしました。
「氏神様、このような嵐がくる海で働くのはもういやです。どうか、漁師をしなくても暮らせるようにしてください」
村人たちは前よりももっと熱心に、お祈りをしました。そうするとまもなく大雨が降って、あふれた大津川が川上から運んできた土で、大津の港はうまってしまいました。ところが、その土はたいへんよく肥えていましたので、田畑を作ることができるようになりました。
「これはありがたい。これからはみんなでひゃくしょうをして暮らせるぞ」
村人たちは喜んで、力をあわせて田畑を耕すようになりました。
数年がすぎると、村人たちはまた氏神様の所にやってきてお願いをしました。
「氏神様。おかげさまで、漁師をしなくても暮らせるようになりました。でも、年に一回のお米だけでは、年貢(ねんぐ)を納めると食べていくだけでせいいっぱいです。このままでは氏神様のお祭りもできません。どうか、年に二回、米ができるようにしてください」
それからというもの、大津では年に二回、米がとれるようになりました。村人は大喜びです。氏神様にお願いした年が羊年だったので、二度目にとれるお米を「羊米(ひつじまい)」と呼ぶようになりました。一度目にとれたお米から年貢を納め、残ったお米は売って、そのお金でにぎやかなお祭りをすることができます。そのうえ二度目の羊米は、みんなで分けあうことができます。羊米は、一度目のお米よりも少し味が悪かったのですが、それでも、ふだん稗(ひえ)や粟(あわ)ばかり食べていた村人たちにとって、米が食べられるということは、ほんとうにうれしいことでした。
ところが、そのうちに、おいしいお米を氏神様に差し上げるのが、だんだんおしくなってきました。
「こんなうまい米を、年貢で納めてしまったり、氏神様に差し上げたりするのはおしいのう。最初の米をわしらが食べて、羊米を年貢に混ぜることにしよう」
「氏神様のお祭りも、羊米を売ったお金でやればよかろう」
羊米は、一度目にとれたお米ほど高い値段では売れません。それからというもの、大津の祭りは、少しさみしくなりました。
何年か経つと、村人たちはもっとぜいたくな暮らしをするようになりました。
「羊米を売ったお金でお祭りをするよりは、わしらがもっとうまいものを食って、楽に暮らすようにしよう」
こうして大津の村人は、ほかのどの村よりもぜいたくな暮らしをするようになり、氏神様のお祭りもやめてしまいました。もちろん、氏神様にお願いした昔のことも忘れてしまったのです。そしてある年、大風でお社がこわれたことも知らず、ぜいたくな暮らしを続けていました。
とうとうおこった氏神様は、黒鉄山(くろがねやま)のおくへいってしまいました。そして、大水を出して黒鉄山の土と石を大津の田へ流し、大津村の田畑を全部うめてしまったのです。そんなことがあって、大津村のお米は、年に一回だけしかとれなくなったということです。