古くから、十月のことを「神無月(かんなづき)」と呼んでいます。なぜかというと、日本中の神社にいる神様が、この月だけはそろって出雲国(いずものくに)にある出雲大社(いずもたいしゃ)に集まって、一年のことを話し合われるため、どこの神社でも神様がいなくなってしまうからです。日本中から神様が集まる出雲国では、「神無月」といわずに「神在月(かみありづき)」と呼んでいるそうです。
「ああ、また出雲へ出かける神無月になったなあ」
ある年のこと、淡路島(あわじしま)にある松帆神社(まつほじんじゃ)の八幡様(はちまんさま)は、うれしそうにつぶやきました。神無月には、島中の八幡様が集まって、いっしょに出雲まで出かけることになっていました。松帆神社の八幡様は、いつもは見られない景色を見たり、あちこちの神様と話ができるので、この旅をとても楽しみにしていたのです。
やがて出発の日がやってきました。淡路のあちこちから集まってきた八幡様たちは、二人、三人と連れだって浦(うら)の港へ集まってきました。岩屋の八幡様は、みんながそろったかどうか見回していましたが、松帆の八幡様が見えないようです。
「おやおや、松帆の八幡様はまだおこしではないようですね。私が行って呼んできましょう」
そう言ってかけだしていった岩屋の八幡様のあとを、ほかの八幡様たちもぞろぞろとついてゆきました。
「松帆の八幡様、もうみんなそろっておりますよ。そろそろお出まし下さい」
呼びかけられて、松帆の八幡様は顔を出しました。
「おやみなさま、もうお集まりでしたか。私もさっそく準備しますから、しばらくお待ち下さい」
松帆の八幡様はそう言って、おくへ入って行きました。ところがお社の中からは何かことこと、がたがたと音がするのですが、松帆の八幡様はなかなか出てきません。ほかの八幡様たちはだんだんと待ちくたびれてきました。
「やれやれ、まだだいぶんかかりそうだな」
「しばらくこしかけて休んでいよう」
八幡様たちは、境内にある松の木の枝にこしを下ろして休みました。あんまり長い間、こしを下ろしていたものですから、枝はじわじわと曲がりはじめ、とうとう地面をはうように曲がってしまいました。
それで、松帆神社の松の木は、「曲がり松」と呼ばれるようになったのだそうです。