今から800年ほど昔のことです。印南郡(いなみぐん)の阿弥陀村(あみだむら)の村はずれを歩いていた、猟師(りょうし)の善四郎(ぜんしろう)が、あれ果てた寺のそばを通りかかりますと、大きな松の木の前に、なにかが転がっているのを見つけました。

 近づいてみると、それは阿弥陀様(あみださま)の像でした。よく見ると、その右手のつけ根には、鉄の矢がつきささってました。

 「仏様に矢を射(い)るとは、なんとばちあたりなことを」
せめて我が家でお祭りしようと、善四郎は阿弥陀様を背負って帰ることにしました。

ところが御着(ごちゃく)のあたりまで来たときです。背中の阿弥陀様が急に重くなって、一歩も動けなくなりました。どうしたことかと思っていると、
「善四よ、善四。ここでよいから、おろしておくれ」
なんと背中の阿弥陀様がそうおっしゃるのです。善四郎がびっくりしていると、阿弥陀様はなおもおっしゃいました。
「私を、この橋の上から、川へ投げこんでおくれ」
善四郎はまたびっくりしました。
「とんでもない。そのようなおそれ多いことはできません」
善四郎がそう言っても、阿弥陀様はどうしても川へ投げこむようにとおっしゃいます。とうとう善四郎は、阿弥陀様をかかえ上げ、川の流れに向かって投げこみました。
「ああおいたわしい。申しわけないことをしてしまった」
善四郎は手を合わせて、何度も阿弥陀様を拝みました。ところがしばらくすると、とつぜん大つぶの雨がふり始めて、川の水がどんどん増え、阿弥陀様はごうごうと流れる水にまかれて、川下へと流されていったのでした。

それから三年がたちました。

ある夜、善四郎の夢に、あの阿弥陀様が現れておっしゃいました。
「善四郎よ、私はあのあと播磨灘(はりまなだ)へ出て、海の底から海で働く衆生(しゅじょう)を守っておった。だが来年からは、地上の衆生を救わねばならぬ。ご苦労だが、曽根村(そねむら)に行ってくれぬか。そこの日笠山(ひがさやま)にある黒岩で座禅(ざぜん)している僧(そう)がおるから、高台から見て光っている海の底を探すように伝えてくれ」

翌日、善四郎が言われたとおり日笠山へ来てみると、岩の上で一人の僧が座禅を組んでいます。そこでさっそく阿弥陀様の夢の話をしますと、僧はたいへん喜びました。僧の名は時光(じこう)といいました。
時光はさっそく、家島の東にあるミノ島の高台に登り、二十一日間座禅を組みました。座禅が終わったその日、広い海のあちこちから、金色の光が立ち上るのが見えました。そこで、漁師を集めて光っている海底にあみを下ろしてみると、ばらばらになった仏様の体や手足などが次々にかかってきたのです。
それをつなぎあわせると、あの阿弥陀様の姿がみごとにできあがりました。
ところが阿弥陀様の右手だけがありません。どうしたのだろうとさわぎ始めた人々に向かって、時光は静かに言いました。
「これでよい。阿弥陀様の右手は、これから先も海の底にあって、海で働く衆生をまもってくださるのだ」

こうして、右手のない阿弥陀様は、日笠山のふもとでお祭りされることになりました。そういうわけで、高砂にある時光寺(じこうじ)の阿弥陀様は、今も右手がないということです。