昔、六甲山(ろっこうさん)の北にある山田の里に、左衛門(さえもん)という男が住んでいました。あるとき左衛門は都へ出て、御所の庭仕事にやとわれることになりました。

ある日、庭をはいていると、いつもは中が見えない御殿(ごてん)のすだれが上がっています。そっと近づいてのぞいてみると、そこにはたいそう美しいお姫さまが座っていました。このお姫さまは、右大臣藤原豊成(ふじわらのとよなり)の娘で白滝姫(しらたきひめ)といいました。白滝姫は、そのころ都でいちばん美しいと評判だった中将姫(ちゅうじょうひめ)の妹でした。

左衛門は一目見るなり、すっかり白滝姫のことを好きになってしまいました。
「あんなお姫さんが、およめさんになってくれたら、ほんまに幸せやろなあ。」
それ以来左衛門の心は、白滝姫のことでいっぱいになってしまいました。右大臣の娘と左衛門とでは、あまりにも身分がちがいます。けれどもあきらめようと思えば思うほど、白滝姫を思う気持ちは強くなるのでした。
そしてとうとう左衛門は、せつない心を歌によんで姫に送ることにしました。

水無月の稲葉(いなば)のつゆもこがるるに雲井を落ちぬ白滝の糸

しかし、姫からの返事には、こんな歌が書かれていたのです。

雲だにもかからぬ峰(みね)の白滝をさのみな恋ひそ山田男よ

雲もかからないほどの高い山のように、身分の高い私です。あきらめなさい。そんな意味でした。けれども左衛門はあきらめきれません。もう一度、歌を送りました。

水無月の稲葉の末もこがるるに山田に落ちよ白滝の水

この歌を知った父の豊成には、左衛門がまことの心で白滝姫を思っていることがわかりました。話を聞いた天皇も、姫を左衛門のおよめさんにするようにすすめました。
こうして、左衛門は白滝姫をおよめさんにむかえ、姫といっしょによろこびいさんで山田の里へと帰ってゆきました。

京の都から山陽道(さんようどう)をたどり、ようやく神戸の平野についてひと休みしていますと、里の人たちがひどい干ばつで困っているようすです。それを聞いた白滝姫が、手に持っていたつえで地面をつつくと、そこからはみるみるうちに清らかな水がわき始めましたので、里の人たちはたいへん喜びました。

烏原(からすはら)から急な坂を登り、長坂山をこえて、ふたりはようやく山田の里に着きました。

ちょうど梅雨に入ろうとする季節です。山田の里には、栗(くり)の花がさいていました。それにしても左衛門の家は、白滝姫がこれまでに見たこともないようなあばら屋です。夜になると、屋根のすきまから月の光がもれてくるほどでした。

左衛門は貧しいながらもけんめいに働き、白滝姫との間には男の子も生まれました。しかし白滝姫にとっては、なれない山里の暮らしです。体はしだいに弱り、とうとう病気にかかって、ある年の梅雨のころ、幼い子を残して死んでしまったのでした。

悲しみにうちひしがれた左衛門は、姫を手厚くほうむりました。するとその墓の前から、清らかな泉がわきだし、水面に栗の花が散り落ちたそうです。それから毎年、白滝姫が亡くなったころになると、泉には清水が満ちあふれて、決まって栗の花が散り落ちるのです。
そこで左衛門は姓を栗花落(つゆ)と改め、泉のわきにお堂を建てて姫を祭りました。やがてその泉も、栗花落の井戸と呼ばれるようになりました。

今でも左衛門の子孫が、この井戸を祭っています。そして、白滝姫がつえでついて泉をわかせた所は栗花落(つゆ)の森と呼ばれ、神戸の都由乃町(つゆのちょう)で大切に守られています。