弁慶の人となりと兵庫の弁慶伝説
弁慶(べんけい)が実在の人物かどうかという論争が、古くからあったと聞くと、意外な感じがする。生涯、源義経(みなもとのよしつね)につき従った人物であるのに、実在かどうかを疑われるほど、この人についての記録は少ないのだ。だから、多くの人が知っている弁慶像そのものが、むしろ伝説から生まれたと言っていいのかもしれない。剛勇無双、怪力、破天荒。弁慶の伝説は、そんな話ばかりであるからだ。
しかしその伝説には、彼の人間離れした活躍を描きながらも、どこかちょっと間が抜けていたり、ユーモラスな人物像を語ったりしたものも多い。多くの人が弁慶を語り伝えるたびに、おそらく少しずつ脚色され、あるいは期待を込めて語られることで、「スーパーヒーロー弁慶」ができあがっていったのだろう。
兵庫にもたくさんの弁慶伝説があって、小さなものまで含めると、数えることも難しそうである。その中に、主君義経と出会う前の、若き日の弁慶が語られる伝説があるというのも興味深い。源平合戦の舞台でもあった兵庫県には、より色濃く、義経主従のうわさが語られたためなのだろうか。
用語解説
始まりは書写山
弁慶伝説を、弁慶自身の年齢に沿って語るなら、兵庫での始まりは書写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)である。若き日の弁慶が、大暴れして全山を焼いたというのは史実ではないが、彼にゆかりの場所や物が、ここに数多く伝えられている。
書写山は、姫路市中心街の北西に位置する。夢前川(ゆめさきがわ)と菅生川(すごうがわ)に挟まれて、南北にのびる山地の南端にある山頂は、標高371m。ふもとからロープウェイに乗り、播磨灘(はりまなだ)を遠望しながら、数分で山上駅に到着する。兵庫県レッドデータブックで、貴重な自然景観にあげられている山は緑濃く、季節ごとに美しい姿を見せてくれる。
弁慶石
山上駅からは参道をたどるが、この道は山陽自然歩道でもある。坂は緩やかで息を切らせるようなこともなく、木々の緑や鳥の声を楽しむうちに壮麗な摩尼殿(まにでん)へ導かれる。その摩尼殿前の橋のたもとに、二つの「弁慶のお手玉石」が並んでいる。弁慶がお手玉のかわりに投げ上げて遊んだと言うけれど、抱えることもできないくらいの大石である。まったく弁慶の面目躍如といったところか。もっともこの石には、仏法を守護する乙天(おとてん)、若天(わかてん)という別の伝説もある。
弁慶の鏡井戸と勉強机
摩尼殿からさらに奥へと歩くと、5分ほどで大講堂、常行堂(じょうぎょうどう)、食堂(じきどう)の三堂が並ぶ広場に至る。大講堂と食堂は、室町時代に建立(こんりゅう)された国指定重要文化財である。その食堂と大講堂に挟まれた一角に、弁慶の鏡井戸がある。
長さ3m、幅2mばかりの長方形の石組みがあり、井戸というよりも池といった感じである。少し濁った水が、それでも静かな水面を見せている。
食堂の上階は展示室になっていて、数多くの仏像や歴史的な品が陳列されており、その中に弁慶の勉強机もある。自然木を縦割りにして脚をつけた、長さ2mほどの机である。伝説では全山丸焼けとなっているのに、何で勉強机が残ったのかなどと野暮な疑問は別として、荒削りな表面や幹の凹凸をそのまま残した縁は、奔放な弁慶のイメージにぴったりである。
弁慶の学問所
奥の院は、食堂からすぐである。ここに弁慶の学問所といわれる護法堂拝殿(ごほうどうはいでん)がある。先ほど通った三堂の明るさに比べて、性空上人(しょうくうしょうにん)を祭る開山堂(かいさんどう)を中心にしっとりと落ち着いたお堂や社が並んでいる。
用語解説
弁慶地蔵
弁慶地蔵は、姫路市別所の旧山陽道に沿った、静かな住宅街にある小さなお堂の中に祭られている。何の用事があったのか、京へでかけた弁慶が書写山に帰る途中、土地の庄屋(しょうや)の娘と知り合い、ここで一夜を共にしたというが、このお地蔵様自身は、天文年間の銘があるから、16世紀の作ということになり、弁慶の顔は見ていないはずである。
英雄が、生涯一度の恋をしたという話は、何だかどこにでもありそうな気がするが、弁慶にはそれがまたよく似合っている。
用語解説
山を運ぼうとした弁慶
神戸市西区にある雄岡山(おっこさん)、雌岡山(めっこさん)は、秀麗な神奈備(かんなび)の山で、神々にちなむ伝説もあるのだが、ここにも弁慶話が伝えられている。弁慶がこの美しい二山を庭の築山(つきやま)にするため、持ち去ろうとしたというのだ。
自慢の鉄棒の前と後ろに山を下げて、さてどっこいしょと持ち上げようとすると、鉄棒がぽきりと折れて落ち、地面に大穴をあけてしまった。それが、両山の間にある金棒池になったという。
何とも荒唐無稽(こうとうむけい)な話だが、ここでも、怪力でありながら何となくユーモラスな彼の人物像が描かれているようで、おかしい。雄岡・雌岡の一帯も、「兵庫の貴重な景観」にあげられている。神が住む山々と、満々と水をたたえる池は、いつまでも残ってほしい風景である。
用語解説
幻の弁慶岩
弁慶岩があったのは、温泉町の千谷(ちだに)にある「おもしろ昆虫化石館」から、岸田川に沿って谷をさかのぼった岸田の村あたりである。狭い谷筋には、東西からけわしい尾根が迫っているが、川に沿って谷奥まで棚田が開墾されて、独特の風景を見せている。
弁慶岩がどこにあるのかは、事前にいくら調べてもわからなかった。とにかく現地を探してみようというので訪れたのだが、村の人に尋ねても、「弁慶岩」を知る人はほとんどいなかった。ようやく知っている人に出会ったが、その答えは「圃場(ほじょう)整備のときにめいだ(こわした)と思う」というものであった。残念なことこの上ないが、もうほとんど忘れられた伝説だから、仕方のないことなのかもしれない。もう何十年か経てば、伝説があったことさえ知る人はいなくなるだろうか。
弁慶岩は、伝説とともに幻になってゆくのだろう。