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庶民物
絵師草紙えしのそうし

絵師草紙

絵師草紙
(えしのそうし)
江戸時代 一巻 紙本着彩 巻子装
縦29.5㎝×横774.6㎝ 全30紙継 詞3段絵3段
外題題箋「御物本絵師草子絵巻」

 貧しい絵師が、伊予国(今の愛媛県)に土地を賜ったと喜ぶものの、そこの住民は暴力的で年貢を取りたてた後のため、収入が入らないことが分かり、さまざまに訴えをおこす顛末を描いています。この資料は、鎌倉時代後期(14世紀)に制作された原本をもとに、江戸時代後期に模写された絵巻と推定されます。

 鎌倉時代後期(14世紀)に制作された御物「絵師草紙」(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)を原本として、江戸時代に写された模本です。それぞれ対応する詞書と絵の各3段で構成されており、おおまかな内容は次の通りとなっています。

(1-1)昨年の晩秋九月のこと。貧乏な宮廷絵師である自分は、朝廷から伊予国に所領を賜わった。それを家で報告すると、家族や親類縁者が集まり大喜びした。
(1-2)祝いの酒宴が催されると、酔いが回り、こぼれた酒壺が水で薄められても気づかない有様だった。
(2-1)宴は翌一昼夜つづいた。その翌日、さっそく領地に使者を派遣すると、やがて使者から便りが届いた。
便りによれば、領地の住人は暴力的で、すでに年貢も取り立てた後であるため、収入がまったく見込めないという。一同は落胆し、貧しい暮らしはますます困窮した。
(3-1)そこで法勝寺の弁に訴えると、逆に所領は法勝寺に召し上げられていた。
(3-2)今度は法勝寺の上卿を通じて御所に訴えると、すぐに所領は回復した。しかし、これ幸いとばかりに「領地を近隣に替えてほしい」と所望しところ、翌年の仲春二月の今まで放置されている。よって事の顛末を絵筆で訴える次第である。

 この作品は、絵巻物では珍しい一人称による語りで詞書が構成されていることが特徴のひとつです。同じく鎌倉時代後期に制作された重要文化財「直幹申文絵詞」(出光美術館蔵)もまた申文の形をとっており、この点での類似が指摘されています。ただし貧しい主人公が、身分を顧みず天皇・院に直接訴えるという行動パターンや、調子づいた欲深い行動が不運を招くという筋書きには、悲哀というよりは滑稽さに焦点が合わせられており、庶民物のお伽草子の先蹤として位置づけられるべき要素が内包されている点に着目すべきでしょう。

 また、詞書第一段はやや唐突に「朝恩なればかたじけなく……」とはじまり、原本の巻頭には幅6㎜の補紙が付随することから、絵巻の冒頭部分には欠失があると推定されています。このことは、心情を饒舌すぎるほどに綴る後半部と対比して、突飛な幕開けの印象を詞書に与えています。

 一方、巻末にあたる絵第三段の後半(3-1)については、弁へ訴えた直後の情景か、あるいは上卿へ訴えた後の情景かで、解釈が分かれています。画中の馬上で振り返る絵師は、押しあてて檜扇で顔を隠し、檜扇の端から往来を眺めています。見舞われた災難を振り払うべく、次善の策を思惑しているのでしょう。いずれにせよ、詞書がかなり略されて絵画化されており、領地の変更を申し出たために訴えが放置される、という物語のクライマックスは描かれていません。それゆえ精緻な画面構成、闊達な筆さばきに対比して、やはり突飛な幕切れ感が絵段にただようこととなっています。

 このように、冒頭詞書や巻末絵場面に欠失があるとも想像されますが、現状の詞書と絵段から考察すると、絵師が突然の領地拝領にぬか喜びし、収入が見込めないことが分かって落胆、訴訟も思うように通らない……、という展開として、物語梗概が理解されるのです。

 さて、この絵第一段の前半(1-1)に描かれた綸旨には「伊予国/□令行/天気」と、その包紙には「参川権守 少納言」と書かれており、詞書の内容とともに史実に照らし合わせると、後醍醐天皇の治世である正中二年(1325)から嘉暦元年(1326)までの実際の出来事とみられるとする、五味文彦氏の説があります。フィクションかノンフィクションかはなお慎重に判断する必要がありますが、もしも史実に沿うのだとすれば、詞書第三段の「御所」とは、嘉暦元年冬頃に円観に法勝寺の再建を命じた、後醍醐天皇ということになりましょう。さらにこの所領の一件は、「御所」による解決を見ず、別の権威へと申文の形式を踏襲して訴えられることから、絵巻物の鑑賞者には後醍醐天皇とは異なる為政者、たとえば後伏見院や花園院などの存在を想定できそうです。

 原本「絵師草紙」はこのように鎌倉時代後期の実験的な個性派の絵巻物であり、かなり精巧な模本である本作品もその魅力を存分に伝えています。

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