入江コレクションとブリキ玩具

ステーション(ブリキ玩具)1910年代 兵庫県立歴史博物館蔵(入江コレクション)

 入江コレクションは児童文化研究者の入江正彦氏(1932~2000)が収集した、子ども文化に関するコレクションです。総数約11万点に達するコレクションの内容は多岐にわたり、日本でも有数の児童文化史資料と言えます。

 入江氏はブリキの玩具も数多く収集されています。ブリキは薄い鉄板に錫(スズ)をメッキしたものです。江戸時代の終わりごろにオランダからもたらされ、日本でのブリキ玩具の製作は明治時代以降に始まりました。当初、ブリキ板の加工や塗装はすべて手作業で行われていましたが、この作業は明治時代後半になると機械で行えるようになり、ブリキ玩具の大量生産が可能になりました。

 乗り物の玩具もブリキで多様なものが生み出されました。印刷や成形が機械化された明治時代後半には当時の世相を反映し、例えば日露戦争後には華やかな花柄などが印刷された軍艦の玩具が人気を集め、また、明治末期に飛行機が飛び始めると、まもなくブリキ玩具の飛行機が売り出されるようになりました。明治5年(1872)に開業した鉄道に関しては、当初汽車などは、塗装はすべて手作業でしたが、後に多彩な模様などが印刷されるようになりました。

 写真のブリキ玩具「ステーション」は大正時代の初め頃の製品と考えられます。両端と中央にレンガ造のアーチ形の駅(ステーション)があり、これを橋脚として橋桁が架けられ(これらはすべてブリキで作られています)、その上をブリキの電車が走るという玩具です。電車の両端には進行方向を切り替えるレバーが付いており、これが線路の両端にある信号機にあたると電車が進行方向を変える仕組みになっています。

電車と高架鉄道の登場

現在の「新永間市街線」(京浜東北線 有楽町・新橋間)

 ところで、ブリキ生産が可能になった明治末期から大正初期にかけて、日本各地で電車が走り始めるようになりました。電車は明治28年(1895)に京都で走り始めたのが最初ですが、明治38年(1905)に阪神電鉄が開業した後、各地に広まっていきました。

 そのころの東京では本格的な都市計画が進められ、東京駅や、そこから浜松町方面に伸びる高架鉄道が計画されました。そしてまず、蒸気機関車ではなく電車が行き交う高架鉄道(新永間市街線)が明治42年(1909)に完成し、次いで東京駅が大正3年(1914)に開業しました。先に開業した新永間市街線は、現在のJR山手線と京浜東北線の高架橋となっており、今もなお、建設当時のレンガ造りの構造物を見ることができます。玩具「ステーション」の煉瓦が印刷された部分は、この高架橋のアーチ形をヒントにデザインされたものかもしれません。この市街高架鉄道は、二つの大きなドームがシンボルとなった東京駅とともに、東京の新たな景観を生み出すことになりました。

 首都東京の新たなシンボルとなった高架鉄道をモデルとし、往復運転を実現したブリキの電車の玩具は、当時の子どもに驚きをもたらしたことでしょう。当館ではこのような乗り物に関する資料も、今後館内で公開できればと考えています。

現在の東京駅本屋