学芸員コラム
2026年1月30日
第171回 絵解き『熊野観心十界曼荼羅』(4)救済-あの世における救い-
現在、1階「美術とくらし」にて、当館所蔵の『熊野観心十界曼荼羅』(資料名:熊野観心十界図)を展示しています。
さて、過去のコラムでは、『熊野観心十界図』についてさまざまなテーマを取り上げてきました。第4回となる今回は「救済」をテーマにご紹介したいと思います。

※以下の写真は全て上記資料の部分
『熊野観心十界図』では、現世から死後の世界、そしてさまざまな地獄の責め苦が描かれていますが、一方で“救いのシーン”も多数見ることができます。今回はその中から3つ紹介したいと思います。
1つ目は画面中央に円状に描かれている「賽の河原」。三途の川のほとりにある河原で、親より先に亡くなった小さい子どもが行くとされる場所です。子どもたちは死後、賽の河原へ行き、親の供養のため“石積み”をしなければなりません。重い石を運んできては積み、塔を作っては鬼卒に崩され、これを繰り返すことになるのですが、最終的には地蔵菩薩が救済するというものです。
「賽の河原」は典拠となる経典はなく、経典の一部や偽経から生まれた俗信とされており、『地蔵和讃』や『賽の河原地蔵和讃』によって、中世から江戸時代にかけて一般に広まりました。現代でも「お地蔵さん」は“子どもを守るもの”として信仰されているのも、このような説話が影響しているのかもしれませんね。

2つ目は画面右下に描かれている「血の池地獄」。これは第3回の絵解き『熊野観心十界図』でもご紹介したもので、血の穢れにより女性が落ちると考えられている地獄です。別名を「血盆池」といい、その由来は救済に関わる『血盆経』からきています。
「血の池地獄」のすぐ上部に描かれているのが救済のシーンで、如意輪観音から紙を渡されている女性の姿があります。この紙が『血盆経』で、生前に唱えたり、書き写して持ち歩いたりすることで、この「血の池地獄」からの救済を受けることができると考えられてきました。
また、「血の池地獄」のところに蓮の花に持ち上げられた女性が描かれています。仏画における極楽でも蓮の花はよく描かれ、仏像の台座に蓮の花が施されている“蓮台”というものもよく見かけるのではないでしょうか。ではなぜ「蓮」がモチーフとして使われているのか。それは「蓮華の五徳(れんげのごとく)」と呼ばれる、仏教における人の在り方を示す5つの特徴を蓮が表しているからと考えられています。
①汚泥不染(おでいふぜん):蓮は泥の中で育ちながらも、泥(穢れ)に染まることなく美しい花を咲かせること
②一茎一花(いっけいいっか):蓮は一つの茎に一つの花を咲かせる特性を持っていること
③花果同時(かかどうじ):蓮の花は一度に開き、同時に実も成ること
④一花多果(いっかたか):一つの花から多くの種ができること
⑤中虚外直(ちゅうこげちょく):中は空洞でも曲がらずにまっすぐ伸びること
六道絵の中にもよく見られる「蓮の花」にもぜひ注目してみてください!

そして3つ目は「四十九餅」。名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。満中陰つまり四十九日の法要の際に供える餅のことです。宗派によって供え方の違いや意味は諸説ありますが、今回は『熊野観心十界図』に描かれている一説をご紹介します。
なぜ49個の餅を供えるのか。それは、地獄におちた亡者を救うためです。『福田殖種纂要』によると“四十九餅は人間の大骨48と身体全体の1を表す”と説かれています。地獄に落ちた亡者は釘打ちの責め苦にあっています。絵をよく見てみると餅に釘が打たれていたり、地面に釘が散らばっていることが分かります。これは現世で供えられた餅を親族で分けて食べることにより、亡者に刺さっていた釘が抜け、亡者に打たれるはずだった釘は餅に打たれ、苦しみから逃れられるというものです。つまりここでの救済者は故人を思う親族たちということになります。少なくとも江戸時代から続いているこの「四十九餅」はあの世の故人とこの世の人を繋ぐ大切な風習であり、これからも絵解きを通して語り継いでいきたいことの1つです。




