〔写真1〕延々と続く森林鉄道の路線跡

【はじめに】

 宍粟市波賀町は兵庫県中西部に位置し、北は養父市や鳥取県と境を接しています。町域の多くを国有林が占め、木材運搬(運材)のため大正期から森林鉄道が用いられました。大正13年(1924)に町中心部の上野貯木場と音水(おんずい)事業地を結ぶ幹線約24kmが完成し、最盛期には路線網全体で延長50km以上に達しました。昭和30年代以降運材は次々とトラック輸送に置き換えられ、昭和43年(1968)7月の中音水線の廃止により森林鉄道は役目を終えました。

 その後、国有林での林道整備に伴い町内の廃線跡が失われていきましたが、中音水線については地元の波賀元気づくりネットワーク協議会(以下、協議会)のメンバーが現地調査を行い、橋梁・トンネルなどの遺構が数多く残されていることを明らかにしました。今回は協議会のご協力により実現した、森林鉄道の遺構視察について記します。

【路線の建設】

 中音水線(1937~1968)は、県営引原ダムの1km半ほど西側に位置する音水の集落付近から中音水谷に沿って敷設された約6.2kmの路線で、軌間(レールの幅)は森林鉄道に一般的な762mm。運材に用いる機関車は急傾斜が苦手なため、傾斜のゆるやかな路線が延々と築かれました〔写真1〕。

〔写真2〕鋼製の橋桁

【橋梁】

 廃線跡にある10基の橋梁はほぼすべて、鋼製やコンクリート造の梁を、コンクリート造の橋台や橋脚の上に載せて築いた簡易な桁橋(けたばし)です〔写真2〕。

 驚くことに、廃止後50年以上を経過したにもかかわらず、まだ多くの枕木を載せたままの橋桁がありました〔写真3〕。橋桁と枕木を固定するためのフックがあればと探したのですが確認できませんでした。今は朽ちた枕木が橋桁の上に載っているだけであり、今後、少しでも長くこの状態が見られるようにと願わずにはいられません。

〔写真3〕枕木が残る橋桁
〔写真4〕L字形に配置されたコンクリート造の橋梁

 また路線の途中のトンネルを過ぎたところに、2基のコンクリート造の橋梁がL字状に配置された箇所がありました〔写真4〕。奥の方の橋梁の下方にはコンクリート造の大きな堰堤が据えられていました。この場所での路線の建設に際し、まず谷に堰堤を造って斜面を安定させた後に、この橋梁を架けたのでしょう。堰堤が多量の土砂を受け止めている様子から、いかに急峻な地形に森林鉄道が敷設されたのかを実感することができます。

〔写真5〕現地に残されたレール
〔写真6〕犬釘が刺さったままの枕木

【レール・枕木・犬釘】

 レールや枕木も現地にたくさん残されていました〔写真5〕。レールは元の場所から外れてヘビのように曲がりくねっていることから、素材となる鋼は炭素の含有量が少ない柔らかな素材のものと推測されます。また枕木にはレールを固定するための犬釘が刺さったままのものも見られました〔写真6〕。

〔写真7〕宿舎、発電小屋

【宿舎・炭焼窯(すみやきがま)】

 廃線跡をさらに奥に進むと作業員宿舎や発電小屋の跡がありました〔写真7〕。風呂や便所、炊事用のカマドなどが現存しており、ビール瓶、食器などから当時の暮らしがしのばれます。ただ発電小屋以外は強風などの影響で壁や屋根が崩壊していました。

 また、線路脇には直径5mを超える大きな炭焼窯(すみやきがま)の跡もありました。材料や燃料となる木が十分に調達できるのと、焼き上がった炭の搬出が森林鉄道により可能なため、ここに窯が築かれたのかもしれません。

〔写真8〕川のなかばで途切れた橋梁

 宿舎からさらに奥へ進んだ場所に築かれたコンクリート造の橋梁〔写真8〕は、川のなかばで途切れていました。平成30年(2018)春まではその先に木製橋梁が続いていたものの、その後の豪雨で木橋の部分が流されたそうです。この周辺はさらに奥へ続く線路と、別方向の山上へ向かうインクラインとの合流点になっており、また近くに宿舎もあることから、運材の重要な拠点になっていたのではと思われます。

 ちなみに視察の本来のゴールはもう少し先に設定していたのですが、時間の都合上、今回はこの場所で折り返しとなりました。構造物を見るのに時間を費やしすぎたことが原因で、それだけ充実した視察になったと思っています。

〔写真9〕森林鉄道復活運転をめざして搬入された機関車

【波賀森林鉄道を活かした取り組み】

 日本にはかつて多くの森林鉄道がありましたが、兵庫の国有林では波賀町が唯一の事例であり、そのため森林鉄道は波賀町を特徴づける貴重な産業遺産といえます。協議会では産業遺産・波賀森林鉄道を活かした地域活性化を目指し、今回視察を行った鉄道遺構の調査やモニターツアー、啓発活動などを行っています。さらに令和3年(2021)4月には「波賀森林鉄道復活プロジェクト」を立ち上げ、森林鉄道復活運行実現に向けた準備が進行中とうかがっています。

 ちなみに隣の養父市では、かつて明延鉱山などで活躍した鉄道「一円電車」の復活運転を実現しています。となりあう2つの町が偶然にも鉄道による地域づくりを行うことで、人の流れや交流が生まれるのではないかと期待されます。

 今回の現地視察に際しては、ルート案内、国有林への入山届、厳重なヒル対策など、すべて協議会のご協力により実現しました。協議会のメンバーのみなさんがとても楽しそうに活動されていたのが印象的で、きっとそのようなポジティブな雰囲気が、森林鉄道の魅力とともに多くの人を引きつけるのだと感じました。文末になりますが、波賀森林鉄道に触れる貴重な機会を与えていただいた協議会のみなさまに心よりお礼を申し上げます。