学芸員コラム
2016年11月15日
第80回:大正期のもう一つの子ども文化
現在の特別展では、『子供之友』という大正期の絵雑誌を代表する雑誌の原画を展示しています。竹久夢二などの作品、155点です。原画だけでなく、『子供之友』自体も180冊ほど、また、大正期の子ども文化を紹介する特別コーナーもあり、全体で400点以上も子どもに関わる作品や資料を展示しています。(絵雑誌とは主に明治末から昭和初期にかけて発行された全ページイラスト付きの幼児向け雑誌です。)
さて、大正期の子ども文化を紹介するコーナーでは、『赤い鳥』などの、芸術性の高い童話や童謡を推進した子ども向け文芸雑誌や絵雑誌、そういった雑誌に作品を提供した画家を紹介しています。
つまり、大正期の子ども文化の中の、芸術的で上品な部分を紹介しているのですが、大正期の子ども文化は、童話、童謡のように、芸術性を追い求めたものばかりではありませんでした。当時は、面白さを追求した文学や雑誌が子ども達の間で人気を博していました。
その代表が『立川文庫(たつかわぶんこ)』でしょう。1911年(明治44)から1924年(大正13)にかけて、姫路市勝原区出身である立川熊次郎が創業した大阪の立川文明堂から発行された、縦12.5cm、横9cmサイズの書き講談シリーズです。その通俗的な面白さと持ち運びやすさのため、少年向けではないながらも、働く少年たちから火がつき人気が出ました。
当時は、講談をそのまま速記して長々と書籍化した速記講談本が流行っていました。速記講談本と違い、立川文庫は文体が口語に近く、総ルビの読みやすいものでした。内容も、読者の願望を体現した主人公が活躍するという、展開の速い単純なストーリーで少年たちの心をつかみました。
立川文庫は速記講談と大衆小説の橋渡し的な役割を果たしたと評価されています。子ども文化にも多大な影響が見られ、立川文庫に見られる破天荒な登場人物やストーリーという特徴は『少年倶楽部』(1914年創刊)などの少年雑誌に掲載された大衆的な児童文学に、そして現在も漫画などに受け継がれています。
後世に与えた影響はそれだけでなく、大阪の陣で活躍した「真田幸村」に仕えたとされる「猿飛佐助」、「霧隠才蔵」などの架空の忍者キャラクターの人気を不動のものにして忍術ブームを起こし、大衆文化に大きな足跡を残しました。徳川家康像を「狸親父」として定着させたのも立川文庫です。
海外での「忍者」人気や、今年のドラマや映画で真田家関連のものが注目されていることをみてみると、立川文庫の残したものの大きさに驚きを覚えます。
今回の特別展では、展示スペースを割く余裕がなく、立川文庫を展示出来なかったことは残念ですが、当館2階の常設展示「こどもはくぶつかん」で、立川熊次郎を紹介しています。「子ども文化と兵庫県」のコーナーですので、ご興味をもたれた方は、その展示をご覧になっていただければ幸いです。
【参考文献】
- 参考文献1:編集・発行/姫路文学館『大正の文庫王 立川熊次郎と「立川文庫」』2004年。
- 参考文献2:編著/鳥越信、著/和田典子『はじめて学ぶ日本児童文学史(シリーズ・日本の文学史1)』ミネルヴァ書房、2001年。