2019年2月2日(土曜日) 13:00~16:30

ひょうご歴史研究室in淡路島+淡路島日本遺産海人の調査研究事業Ⅱ

ひょうご歴史研究室と淡路島日本遺産委員会の主催行事、「淡路島の海人と地域間交流 ~5世紀の倭王権・播磨・出雲~」シンポジウムを、平成31年2月2日(土)、南あわじ市福良地区公民館講堂で開催した(島根県教育委員会が共催)。
まず主催団体である日本遺産委員会を代表して、竹本通弘洲本市長の開会挨拶をした。
その後つぎような内容で、講演・コメント報告・パネルディスカッションをおこなった。

講演とコメント

講演①

「淤宇宿禰・野見宿禰伝承と倭王権」池淵俊一氏(島根県教育庁文化財課)

講演②

「南あわじ市の木戸原遺跡・雨流遺跡の調査成果とその意義」的崎薫氏(南あわじ市教育委員会埋蔵文化財調査事務所)

コメント①

「考古学からみた弥生~古墳時代の淡路島」伊藤宏幸氏(淡路市教育委員会)

コメント②

「文献史からみた5世紀の倭王権と地域間交流」古市晃氏(客員研究員/神戸大学)

パネルディスカッション(約1時間)

参加者から寄せられた質問用紙を参照にして、約1時間おこなわれた。
司会コーディネーター役を、中村弘氏(兵庫県教育委員会事務局文化財課)と坂江渉(研究コーディネーター)がつとめた。
会場からは、出雲と淡路と畿内とを結ぶ交通ルートをどう復元できるのか、三原平野で発掘された木戸原遺跡の大型建物の意義は何か、淡路の海人を統率していたリーダーの存在をどうみるか、5世紀~6世紀における倭王権の淡路支配はどう変化したのか、などの質問が出された。
それに対してパネリストは、一つのルートとして、播磨灘-揖保川水系-出雲街道-日本海側という交通路を復元できる、木戸原遺跡で、一辺が10mに及ぶ建物が5世紀代に造られた事実は、当地にかなりの有力者がおり、またその前提には、王権との強い結びつきがあったと思われること、淡路の海人を統率したのは、安曇連氏-倭直氏という氏族が浮かんでくる、6世紀代には王権の支配力がさらに淡路島に浸透し、ミヤケが設置された意義が大きいなどと答えた。
最後に藪田貫館長(兼室長)が、まとめの挨拶をおこない、参加者に御礼を述べて会は終了した。
当日回収したアンケートでは、「海人とは何かについて明確なイメージを持てるようになった。
木戸原遺跡について、まとまった報告を拝聴でき、重要な遺跡があることを理解できた」「専門用語が多く難しかったが、用語説明もありわかりやすかった。
考古学と文献史学の両専門家からの、古代の淡路の見方がよくわかり、とても良かったと思う」などの感想が寄せられた。
当日の参加者は200名。
総合司会を高橋明裕客員研究員がつとめた。

中村弘講演風景の写真
▲中村弘講演
パネルディスカッション風景の写真
▲パネルディスカッション

(文責・坂江渉)