2018年11月4日(日曜日)
平成30年度ひょうご歴史文化フォーラム
平成30年度のひょうご歴史文化フォーラム「播磨のたたら製鉄研究の新展開 ~宍粟のたたら製鉄を中心に~」を、11月4日の日曜日午後、宍粟市の山崎文化会館にて開催した。
当日は、主催団体を代表して中村司宍粟市副市長が開会挨拶し、約30分のビデオ上映(和鋼風土記)の後、つぎの3人の講師が成果発表し、約30分のパネルディスカッション討議をおこなった。
- 土佐雅彦共同研究員「解説・鉄のお話 ~たたら製鉄とはなにか~」(約10分)
- 笠井今日子共同研究員「古文書からみた近世宍粟のたたら製鉄」(約50分)
- 田路正幸共同研究員「新たに発見された宍粟の製鉄遺構」(約50分)
パネルディスカッションの討議内容
パネルディスカッションの司会コーディネーター役は、岩城卓二客員研究員と村上泰樹共同研究員がつとめた。
討論は、参加者から寄せられた質問も踏まえてすすめられ、主なやりとりは以下の通り。
- 笠井共同研究員が、江戸時代のたたら製鉄というと、出雲・石見のそれがあまりにも有名であるが、同時代、さらにいうとそれに先行して、宍粟を中心とする播磨において、たたら製鉄がおこなわれいた可能性がある。
この間の調査を通じて、これらの点が明らかになってきたことに、学術的意義があると述べた。 - 考古学的な遺物、遺構に関連して、地下構造の簡単な「播磨型」の溶鉱炉が展開した理由は何か、『播磨国風土記』の「砂鉄」生産の記載はどこまで信用できるのか、などの質問が出された。
それに対して土佐共同研究員がその理由は現状では不明である、田路共同研究員は、7世紀半ば~奈良時代に遡る遺構は未だ発見されてないが、風土記の記述は信用できると答えた。 - 宍粟でのたたら製鉄の「請負」と「経営」実態について質問が出され、笠井共同研究員は、請負業者が交代した時、幕府に納める「運上金」は増加したと考えられるという見通しを述べた。
また当時のたたら製鉄業は、地元百姓の生計の維持にとっても重要な意味をもっていた可能性が高いと指摘した。 - 最後に田路共同研究員が、宍粟市内の「たたら遺産の活用」については、考古学的な遺構や遺物だけでなく、それに付随するさまざまな遺構、たとえば、流通や交通に関わる「船着き場」「石造物」「道路標石」「墓石」「古文書」などを総合的に調査研究していきたいという主旨を述べた。
当日は宍粟市の内外から、合わせて170名の参加者がみられ、「たたらと言えば、出雲しか知らなかった。昔の宍粟市内でこれほど盛んに製鉄がおこなわれていた事実に驚いた」「かつての製鉄や流通の歴史の話を聞き、現在の山崎がどんな町であったかをよく理解できた」などの感想が寄せられた。
(文責・坂江渉)