研究員のブログ
2020年11月4日
研究員のリレートーク
研究員のリレートーク 第13回 -『播磨国風土記』研究班から-「写本調査のたのしみ」
ひょうご歴史研究室協力研究員 垣内 章
著名人の回顧録には、ヒト・モノとの出会いが人生の転換点となった、というふうな記述をしばしばみうけるが、市井の小市民であるわたしにもあるのである、そういう体験が。
それは、2014年11月4日に発生した。詳しいことは、このホームページ内の『ひょうご歴史研究室紀要』創刊号の拙文「岡平保著「風土記考」との出会い」を読んでいただくとして、その日、わたしは『播磨国風土記』写本拝見のため、加東市教育委員会の藤原公平さんや仲介していただいた志水豊章さんとともに、室津賀茂神社の岡研作宮司を訪ったのであった。
岡宮司が見せてくださったのは、和綴本が2冊。1冊は宮司のご先祖である岡平保が書写した播磨国風土記の写本であったけれど、もう1冊にはなんと表紙に「風土記考」とあるではないか。しかも随所に推敲の跡がみうけられる。学界では失われて存在しないとされていた岡平保の著作「播磨風土記考」原本の出現であった。
早速、かねて作成していた東大史料編纂所の「播磨風土記考」の翻刻と突き合わせてみると、史料編纂所のものはいわば「風土記考」の清書本であることが判明したのである。そして、「風土記考」の成果が至る所に書き込んである『播磨国風土記』の写本、この2冊が岡平保の風土記学の成果であると理解した次第。
その2年後に、なんとか「風土記考」の翻刻と『播磨国風土記』の写本調査報告を発表(『播磨学紀要』19号)し、出現に立ち会った者としてその責めを果たすことができたのであるが、この出会いがもともと考古畑の人間を、風土記写本の調査という別世界へと向かわせる契機となったのは間違いない。
あれ以来、写本の調査に手を染めるようになって40本あまり見せて貰ったろうか、その報告を次々と、『ひょうご歴史研究室紀要』2号「出田家所蔵播磨国風土記写本調査概報」、3号「『播磨国風土記』写本調査報告(二)」、4号「『播磨国風土記』写本調査報告(三)」)や、『播磨学紀要』に発表するようになり、今やどっぷりとこの世界に入り浸ってしまった。
本年3月に発表した「稿本『播磨国風土記』」(『播磨学紀要』24号)も、『播磨国風土記』の唯一の伝本である三条西本を、風土記写本の見地から検討しようとしたおりの副産物である。
この作業をやってみて、三条西本をちゃんと読めていなかったということを思い知らされたが、新しい研究テーマという感触を得ることができたように思う。牛歩ではあろうけれど、これからも『播磨国風土記』の研究を進めて行こうと思う今日この頃である。