研究員のブログ
2020年10月6日
研究員のリレートーク
研究員のリレートーク 第11回 -赤松氏と山城研究班から-「4月から学芸員になった竹内信です」
ひょうご歴史研究室研究員 竹内 信
1 はじめまして!
はじめまして、赤松氏と山城研究班研究員の竹内信(たけうちまこと)です。今年度より兵庫県立歴史博物館の城郭史担当学芸員として採用され、歴史研究室の研究員を兼任することとなりました。
さて、今回は自己紹介を兼ねて研究の出発点とテーマについて少し書いてみたいと思います。
2 研究テーマについて
(1) 研究の出発点
私はこれまで近代の城郭史を専攻してきました。明治維新を迎えると封建社会の象徴とされた城郭は「無用の長物」としてその存在価値を失い、その多くが姿を消していきました。一方、お城が壊されていくことを憂慮し、これらを保存していこうとする取り組みもみられたのです。では、お城はいつ、誰が、いかなる理由をもって保存の意義を認め、どのような過程を経てその価値が認められていったのでしょうか。また、そうした動きを認めてきた背景には一体どのようなものがあったのか。私の研究の出発点はこうした疑問からはじまりました。
(2) 姫路城の保存過程
そこで着目したのが姫路城でした。姫路城の保存の流れは橋本政次氏の『姫路城史』などから大まかには分かっているものの、一つひとつの画期についてこれまで詳細に検討したものはないようです。その画期について大雑把にみると、次のような段階を経ていると思われます。
A 陸軍による保存の決定(明治初期)
B 地域住民が主体となった姫路城保存の請願(明治末期)
C 文部省(旧所管は内務省)による「文化財」指定(昭和初期)
上記のうち、AからBまでの過程をまとめたものが「明治期における城郭保存-姫路城を中心に-」(『城郭談話会第3回特別例会 存城・廃城(いわゆる廃城令)から明治中期における城郭―その軍事・保存・改変―』、2019)です。
この中で私は、陸軍の手による明治初期の保存は予算上の問題から実務的に難航しており、その解決法として①古社寺保存法の適用、②地方庁あるいは帝室財産に組み込む、といった動きが陸軍内で画策されていたことを明らかにしました。
Bでは運動の中核的役割を果たしていた地元の鷺城新聞社らに注目しているほか、新出資料をもとに姫路出身の歴史学者辻善之助や城郭研究の先駆者大類伸が保存に助力していた点にも言及しています。さらに、運動の背景に姫路における経済的問題が存在しており、姫路城の保存(およびその公開)は観光客誘致を目的としていたことを指摘しています。
なお、Cについては今後活字化していく予定です。ご期待ください。
3 研究室での取り組み
赤松研究班でどのような研究を行うかは未だ定まっておりませんが、今のところ近世~近代における地域住民と山城との関わりについて興味をもっています。まだまだ不勉強な身ではありますが、精一杯取り組んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。