研究員のブログ
2020年8月25日
研究員のリレートーク
研究員のリレートーク 第8回 -赤松氏と山城研究班から-「1つの成果を大きな成果に」
ひょうご歴史研究室研究員 永惠裕和
はじめまして。ひょうご歴史研究室「赤松氏と山城」研究班の永惠裕和です。歴史研究室には、今年度からは研究員として参加しています。この班のリーダーである山上研究員と同じく、城館跡の研究を専門としています。
私事になりますが、「お城の勉強がしたい」と思ったのは、中学生の時に県立歴史博物館で開催された「天下統一と城」展を見たことが直接のきっかけです。日本史学(文献史学)と考古学の区別もつかない当時の私が、その後大学で城館跡の研究を志し、兵庫県教育委員会の埋蔵文化財の専門職員となり、いま、きっかけとなった博物館の中にあるひょうご歴史研究室で、城館跡の研究に携わることができていることに、大きな縁を感じています。今後ともよろしくお願いいたします。
昨年度末に研究紀要の第5号に「千種川流域の城館構成について -赤松居館跡の分析を通して-」という題目で寄稿しました。
この論文では、限られた範囲で実施された3年間の発掘調査成果を、赤松居館跡という1つの城館跡の中に位置づけ、そこから見えてくる14世紀代の守護大名の拠点と周辺地域の城館の関係性を分析することを目的としています。詳しい内容は、ひょうご歴史研究室で公開している拙稿を御覧いただければ幸いです。
さて、この論文を作成する中で意識したことは、遺跡の周辺の景観や、地表面に残る微地形をどうやって図面として示すことができるか、ということでした。
拙稿のなかで扱った、地形断面見通し図は、筆者イチオシの手法です。この図によって、2次元の紙面上で、ある地点からの「景観の見え方」を把握することができると考えています。赤松居館跡では、「赤松」の地が周囲の山塊に囲まれた盆地であること、その中で北方に位置する赤松居館跡からは南側への眺望が開けていることがわかります。
発掘調査では南側で列をなす複数の礎石柱列が検出されていること、段階的に南へと整地が拡張されていることがわかっています。これらのことから、赤松居館跡の正面が南側であり、曲輪内部の利用面積を増やすために居館を拡大させていったことと符合します。
発掘調査を行うことで、調査をした地点については、出土した遺構や土器などの遺物から性格や年代を推定することができます。しかし、遺跡のすべての範囲を調査できることはなかなかありません。地形断面見通し図や細かな等高線による微地形復元、時には3D画像を用いることで、遺跡の立地環境の把握ができ、「点的」な発掘調査成果を、「面的」な遺跡全体の理解へと繋げることが可能となります。
令和2年度からは、赤松居館跡に加え、たつの市所在の城山城跡の検討も開始します。発掘調査だけではない様々な調査を積み重ね、より深く赤松氏の拠点を検討していきたいと思います。