ひょうご歴史研究室共同研究員 山上 雅弘

平成27年度の歴史研究室発足時から赤松・山城班の共同研究員として参加してきました。主なテーマとしては山城を考古学の分野から検討する事を主題としています。特に研究室に参加して考察を進めてきたテーマは南北朝時代から室町時代の城館構造についてです。

宝林寺

実は城郭や守護所について南北朝時代の研究は余り活発ではなく具体的になっていないことが多いのが現状なのです。この現状について何か手がかりはないかと考えていたときに、歴史研究室への参加の誘いを受けました。そして、発足時に上郡町教育委員会も参加してくれていたのですが、赤松氏居館の発掘調査実施に手を上げてくれました。そこで、この発掘掘調査に協力すると共に宝林寺・栖雲寺・苔縄寺などの現地調査や村絵図の検討などを行い、赤松の場所について検討を進めてきました。

赤松氏居館調査風景

そういった中で明らかになってきたのは、赤松の周辺には南北朝時代、赤松氏の故地に関係する場が複数か存在し、それぞれに中核となる施設をもつことでした。宝林寺・法雲寺・栖雲寺そして赤松居館や五社八幡宮などです。これらを概観し大村拓生さんの文献研究「在京守護期の赤松地区と禅院の諸相」(『ひょうご歴史研究室紀要』3号、2018)の成果などを合せて考えると、これらの場の全体が赤松家の故地を形成し、播磨における政治拠点として維持されたのだろうというイメージ浮かび上がってきました。

出土した土師器の皿
調査成果の検討風景

一方、発掘調査では赤松氏居館推定地の内部から14世紀代(南北朝時代)の礎石建物の一部や大量の土師器皿が出土し、やはりここが南北朝時代に重要な場所であったことが明らかになりました。この成果自体は茫漠とした守護所イメージに一筋の光明をもたらしたに過ぎませんし、守護居館そのものと直結するにはまだまだ慎重な態度が必要です。しかし、守護所が推定される場所で14世紀の成果があったこと自体は、今後への大きな一里塚となったことは間違いがありません。

今後も赤松氏の拠点構造の解明に取り組んでいきたいと思っています。まだまだ、研究は緒に就いたばかりですが、これまでの活動を振り返ると手応えは感じています。
さらに、令和2年度からはもう一つの前期赤松氏の故地である城山城(たつの市)にも着手します。二つの拠点の相互比較も含めて今後の活動を楽しみにしてください。