2016年6月18日 土曜日

「播磨国風土記」研究班の今年度1回目の研究会が、館内の会議室にて開かれた。
当班の客員研究員の古市晃氏(神戸大准教授)が、「アメノヒボコ伝承の基礎的考察」と題する報告をおこなった。
討論では、アメノヒボコが但馬を代表する勢力であることに関わり、但馬国内や豊岡盆地における古墳分布の問題などに議論が集中した。
その中で砂鉄が出土している4世紀代の入佐山古墳の重要性、朝来郡内の大型古墳の分布とアメノヒボコ伝承との整合的な解釈の必要性などが指摘された。
またアメノヒボコ伝承と淡路島との関わりでいうと、鉄関連の遺物が出土している南あわじ市の「木戸原遺跡」が重要との認識も示された。
古市氏は、淡路島とアメノヒボコ伝承、あるいはヤマトの葛城勢力との関わりについては、今後も集中的な研究対象にしたいと述べ、そのためには地元研究者の連携が不可欠となると述べた。
研究会の後、風土記研究班の今後の企画として、9月に考古博物館との共催企画として、「播磨国風土記」の特別陳列展とひょうご歴史文化フォーラムの開催、また11月には明治大学との共催行事として、東京にて風土記関連のシンポジウムをおこなう予定の計画案が示され、原案とおり了承された。
参加者は15名だった(たたら・製鉄研究班のメンバー1名と、考古博物館の学芸員1名も参加した)。

2016年10月15日 土曜日

「播磨国風土記」研究班の今年度2回目の研究会が、館内の会議室にて開かれた。
今年度から当班メンバーに加わった垣内章客員研究員(播磨学研究所所員)が、「『播磨国風土記』写本調査略報(承前)」を、坂江渉研究コーディネーターが、「志深ミヤケの歴史的位置」と題する報告をおこなった。
垣内報告については、同氏が龍野歴史文化資料館で発見した『播磨国風土記』写本(出田冨祇筆写)の性格や、風土記「受容」の時代背景をめぐり議論が行われた。
垣内氏によると、出田は「夜比良神社」の神官であるとともに、揖西郡今市村の庄屋家の出身だが、資料断片から、風土記の地名情報が、明治22年施行の町村制の新村名の根拠として利用された可能性があるといい、これも風土記「受容」の一形態だと述べた。
また飯島實本『播磨風土記』(伊和神社)については、伊和神社の社格昇格運動と関連すると指摘した。
坂江報告に関連して、加古川水系と丹波・但馬方面での蘇我氏の動きについては、かつて県が調査発掘した曽我井遺跡(多可町中区)の「蘇我」系木簡の歴史的意義と、それを交通路との整備の問題と結びつけて考えるべきとの意見がだされた。
また『日本書紀』敏達13年(584)是歳条に載る「高麗の恵便」は、蘇我氏に関連する僧侶と思われるが、この恵便については、多可町八千代区中村の「安海寺」に伝恵便像(丈六の仏像。平安後期)と関連伝承が残されており、これらにも眼を向けるべきではないかという指摘があった。
参加者は10名だった。

(文責・坂江渉)