山城・赤松研究班の第2回研究会が館内で開かれた(室長、客員研究員、兼務委員など12名参加)。

本研究班の第2回研究会では、大村拓生客員研究員(関西大学)が、「中世後期西播磨の都市と交通」と題する報告をおこない、コメンテーターに招いた島田拓氏(上郡町教育委員会文化財課)が、大村報告に対する意見を述べ、その後、共同討議をおこなった。

報告のなかで大村氏は、中世西播磨の矢野荘の『算用帳』を分析素材として扱い、この史料群は、矢野荘の荘民が動員されたと考えられる西播磨全域の「地名」が網羅的に登場する点に大きな特徴があると指摘。

その上で、登場する主要な地名を、「山陽道」「美作道」「揖保川流域」「千種川流域」「その他の港湾」ごとに丁寧に紹介し、中世の主要街道上に設置された「宿」と「宿商人」(問屋)が果たす役割と意義の大きさについて述べた。

また赤松氏による地域支配のあり方を考える場合にも、戦時の物資調達・軍役負担の拠点機能など、この宿の問題を切り口にすることの有効性について報告した。

それに対して島田氏は、山陽道と林田川が交差する地点にある宿(鵤宿・弘山宿)の関連遺跡としての「福田片岡遺跡」とは別に、「山野宿」の近傍にあると考えられる、上郡町内で発掘された「山野四ッ日遺跡」の歴史的意義の大きさを語り、大村氏による文献史の研究成果と、本遺跡発掘成果とのコラボレーションが可能ではないかと提起した。

議論では、文献史と考古学的な調査成果にもとづく共同研究の重要性が議論されるともに、その後、本研究班の「座長役」に決まった小林基伸客員研究員(大手前大学)と坂江渉研究コーディネーターによる打合せ会議では、本研究班の研究フィールドとして、「上郡町」(とくに古い絵図等に載る「赤松館」の周辺地域)を中心とすること、また上郡町のすすめる発掘事業を文献史の側から学術的に支援し、合わせて3ヶ年程度のタイムスパンをかけて、総合的な調査研究をおこなっていく方向性などが確認された。

(文責・坂江渉)