9月からの大規模改修を前にして、博物館東側の樹木が伐採され、公園の樹相越しに白い博物館が見通せるようになりました。お蔭で、博物館の東側に位置する館長室はとても明るくなり、部屋から夏の日差しを感じることができます。

 さて今月は、7月4日に閉幕した特別企画展「広告と近代のくらし」を取り上げてみたいと思います。4月24日の開幕翌日から緊急事態宣言が発令され、一時期、閉館という困難な状況下での展示でしたが、延長した期間を通じて約3000人の方々に楽しんでいただきました。

 大きな特徴は、若い世代の観覧者が多かったという点です。それには、劇中に登場する人造人間の頭に摩天楼が立ち、複数の飛行機が飛ぶ―という大胆な図柄を使ったポスター・チラシの力があったと思います。昭和戦前期に大阪の新世界で上映されたドイツ映画「メトロポリス」のポスターからの借用ですが、「広告と近代のくらし」という一見、固そうなタイトルを離れて展示のイメージを喚起した、とわたしは理解します。そこにあるのは、戦前と戦後を貫く、20世紀としての共感ではなかったでしょうか?

 「近代」と銘打っているように、展示は江戸後期の錦絵・引札から始まりましたが、大正期になると、ガラッと変わります。その転換を象徴するのが百貨店・デパート、とくに大正6年(1917)に、地上7階・地下1階の威容を見せて開店した三越百貨店でした。北浜三越は平成17年(2005)に閉店し、その建物は残りませんが、大正9年(1920)御堂筋に建った大阪大丸、大正12年(1923)道頓堀に竣工した松竹座は、100年経ったいまも現役です。

大阪道頓堀の松竹座

 意外な発見は、展示されていたマッチラベルに載る「菊水館」でした。四条通に南座に面して建つレストランですが、京都の大学に勤めていた30代の頃には、しばしば利用していました。突起のある特徴的な建物はいまも現役です。一気に懐かしさが湧きあがりましたが、アンケートには、同様の思いを述べたものがありました。

マッチラベルに描かれた菊水館(上)とその近影(下)

 当時、顧客としてデパートや劇場の刊行物を手にしたのは、圧倒的に都市中間層の夫人たちだったでしょうが、そこに描かれた杉浦非水らのデザインは、いまの若い世代の共感を得ているのです。それは「過ぎ去った」近代というよりは、「いまに生きている」近代、言い換えるなら「大正100年」というべき感覚ではないか―。この度の企画展へのわたしの感想は、これに尽きます。

 江戸・明治・大正・昭和と数えると、そこには<断層>が際立ちますが、50年・100年と数えると<連続した感覚>が強まります。近代をどう表現するか―歴史博物館にとって、新しい課題が生まれているように思います。