8月末になっても連日の猛暑が続いたある日、猛暑に辟易して――妻に言わせるとキレて――、突如、「山に行こう」と決心。9月2日の午後2時半には西穂高の中腹、標高2156メートルの展望台に立っていました。気温20度、正面に標高2298メートルの笠ケ岳など山々が見渡せ、気分爽快。猛暑に耐えていた昨日までとは別世界。突然の決断に大満足です。

 こんなことができるのも標高1117メートルの新穂高温泉駅から1305メートルの鍋平高原駅、さらに標高1308メートルのしらかば平駅から標高2156メートルの西穂高口駅に至る、二つのロープウェイのお蔭(大人1人往復3000円)。第1ロープウェイが4分、第2が7分と、わずか11分余で、気温20度の別世界に身を置いています。鉄道とバスを乗り継ぐこと約6時間という、早朝からの「忍耐」をカウントに入れても「お釣りがくる」爽快さです。しかも驚くことに、第2ロープウェイはオーストリアで製造された二階建てのゴンドラで、今年7月にお披露目されたばかりです。

 突如の山行きが、新穂高になったのには訳があります。30年前の5月、二人して新穂高ロープウェイに乗っており、それを思い出した次第。当時のガイドブックには「雄大な北アルプス連峰を一望」「全長3200メートル東洋一・15分で標高2200メートルの雲上へ」とあります。したがって所要時間が、15分から11分に短縮したことが分かります。

 その頃わたしは、研究調査のためにしばしば岐阜県―旧国名で言えば美濃と飛騨―に足を踏み入れていました。名古屋方面から鉄道で岐阜県に入ると、「飛山濃水」-飛騨の山と美濃の水-の世界が広がります。列車の進行とともに木曽川の水辺から飛騨川の渓谷、さらに焼岳など飛騨山脈の山容へと、つぎつぎ変わる景観にまず感激します。つぎに小京都高山の町並みが待っています。いまも日本を代表する伝統的建造物群保存地区の一つですが、一之町・二之町・三之町の佇まいには魅了されます。四季折々に、山国の暮らしが匂い立っているのです。

 さらに高山から濃飛バスで国道158号線を東へ進むと、平湯温泉・栃尾温泉・新穂高温泉と温泉地が続きます。温泉好きにはたまりません。新穂高温泉は、ロープウェイの起点です。

 30年前に泊まった高山の宿は、いまはもうありません。したがって行く度に宿は変わるのですが、昼食に行く蕎麦屋、利き酒をして土産に買う酒屋(酒造家)、そして休憩する喫茶店は変わりません。いずれも健在で、翌日に訪れました。駅舎が新駅になるなど変化も顕著ですが、「変わらない」雰囲気に癒されるのも事実です。

 そして最後に飛騨高山まちの博物館を訪問しました。かつて高山市郷土館と言われていたのですが、リニューアルされて名称が変わり、常設展も一新されました。旧豪商名島家の蔵を利用した14の展示室を思い思いに巡ることで、飛騨と高山の歴史・文化が学べます。もちろん郷土の偉人円空の仏像にも出会えます。それでいて無料。地方都市の博物館の力を感じます。

 最初の展示室に入ると、こんな掲示がありました。

 日本全国どこにいても、しっかりとコロナ感染対策が取られていることを物語っています。そういえばロープウェイの乗り場には、アマビエのプリントされたマスクが売られていました。

 コロナ禍の下、短い夏休みを楽しみました。