館長ブログ
2025年1月15日
新しい生活―「おまけの一年」の終了を前にして―
去年の3月28日、藤原教育長から携帯にかかった電話には驚いた。「館長職をもう一年延長してほしい」というではないか。次期館長の発表がなく、なんとなく嫌な感じがしていたが、まさかまさか・・・。窮状は理解できたので、引き受けると返事し、「おまけの一年」を無理やり飲み込んだが、4月以降、心身の不調が続いた。
心機一転するべく伊勢神宮に行くなど、妻の協力を得て気を紛らわせることをさまざま試みたが、容易に改善するものではなかった。四月からは新しい日々が・・・と心待ちにしてきた想いが余りに大きく、それを抑えるのに四苦八苦したのである。
ところがある時、秋の入り口の頃と思うが、気分が軽くなっていることに気が付いた。それは、自分で買ったコーヒー豆を挽き、コーヒーを淹れる楽しみを覚えてからのことである。
きっかけは、堺の鉄炮鍛冶屋敷井上関右衛門家資料の調査研究で親しくなったある先生の研究室に赴き、そこでご馳走になった朝のコーヒーである。コーヒー好きとは知らず、しかも自分で豆を挽き、コーヒーを淹れるという仕草の優雅さに、一瞬にして憧れた。これなら自分もできる・・・。
早速、妻がコーヒーミルと専用の湯沸かしを買い整えてくれ、近くの焙煎所で、引きたての豆を買って淹れたコーヒーの美味しい、美味しいこと!あぁ自分は、なにか「新しいこと」をしたかったのだ、「新しい生活」に憧れていたのだ、と納得することで、この時、「おまけの一年」を楽しむ余裕が生まれた。
コロナ禍の時もそうだが、馴染んだ生活が中断されるとストレスが溜まる。そこで思い立ち、朝の散歩を始めることで、コロナ禍の歳月を楽しむことができた。新しい生活に切り替えることで、ストレスが無くなったのである。その道理が、「おまけの一年」から来るストレスにも当てはまった。
その一歩先を行ったのが妻で、彼女は二人の朝の散歩から、さらにバードウオッチングの世界に飛躍し、新しい生活をさらに充実させていた。その恩恵を受けることで、周囲にいる「ただの野鳥」が、メジロ・カモ・カワセミ・セキレイ・エナガ・イソヒヨドリ・モズ・シジュウカラと、その姿と声で識別されるようになったのである。さすがに大望遠のカメラでないと写真に収めるのは難しいが、双眼鏡を通して目にすると感動する。
カワセミ シジュウカラ
幸い、狭い我が家の周りには、さまざまな野鳥がいる。そんな恵まれた環境にいることを、いまさらながら知ったのである。「新しい生活」は、30年余も住む「旧然たる世界」に潜む新しい魅力を発見させてくれた。
「おまけの一年」で得た収穫である。それもいよいよ、3月末には終わる。