10月と11月に二度、姫路で開かれた女子会に参加しました。来年3月末のわたしの館長退任を前にして、かつて在籍した京都橘女子大学のOGたちが同窓会を企画し、姫路城見学を兼ねてわがレキハク(兵庫県立歴史博物館)を訪問してくれたのです。女子大生の同窓会なので、当然、わたし以外は女性。したがって姫路で女子会、となったわけです。

 10月に訪ねてくれた卒業生たちは昼の部6名、夜の部は一人入れ替わり6名。参加者に手紙を託してくれた人もいたので、のべ8名となります。関西方面のほか名古屋・東京・千葉からの参加者もありました。一歳年上の一人を除き、他のメンバーは今年、還暦を迎えます。したがって、還暦同窓会という意味も彼女たちにはありました。それをわざわざ姫路に集まって、しかも「恩師の退任を祝う」という名目も含めて同窓会を開いてくれたのですから、ゼミ担当教師であったわたしの幸福度は半端ではありません。

 それぞれに姫路に着き、レキハクで集合し、企画展「ひょうご五国のやきもの」を見学。館長室での懇談後、夜の会食へと向かいました。そこには会食参加の一人も加わり、楽しい宴会になりましたが、そこで話題になったのは、38年前の11月のゼミの日のこと。阪神が日本一になった翌日、わたしの研究室に集まり、彼女たちが用意したケーキでそれを祝ったのです。めったにあることではないので、誰一人忘れていません。果たして、女子会の翌週、阪神タイガースが日本一になったのですから、何とも因縁めいています。再び、忘れられない記念になりました。

 11月の卒業生たちは、それより若く、揃って京都橘女子大学が創立された1967年(昭和42)の生まれとのこと。7名の参加ですが、彼女たちは入学時、わたしが担任をした歴史Bクラスのメンバーの一部。したがって卒業時のゼミは異なります。それなのに一年生時の友好関係をこうして保っているのは驚きですが、聞けば、卒業後に再会することがあり、それを契機に、あらたに生まれた有志の会として10年余、続いているそうです。その秘密は、順番に幹事を引き受けることで、この時期に、日本各地を旅して廻るということ。わたしの館長退任を知ることで今年は、姫路・明石一泊二日の日程に同窓会を組み込み、おいしいランチの後、姫路城とレキハクの見学を楽しみました。

 関西のほか東京と高知からの参加があったのですが、生憎の強風のため、高知からの参加者は明石到着が遅れ、姫路訪問は実現しませんでした。その分、夜のホテルでは盛り上がったそうです。女子大生に戻った瞬間でしょうね。

 二つの同窓会の背景には、わたしが1980年代に京都橘女子大学(現在は男女共学になり京都橘大学)に勤めていたという経歴があります。関西大学に移る前の11年間のことですが、30歳代の男が、女性ばかりの世界に身をおいたのですから、その体験には鮮烈なものがありました。なかでも女性史研究に目を開かされたのが、最大の出来事。2020(令和2)年にレキハクで開催された特別展「女たちのひょうご」には、その経歴が反映されています。

 数十年ぶりに会って、互いに語り合うのを傍で見ていて思うことは二つ。一つは、20歳前後のおもかげは、当時呼び合ったファーストネームとともに深く記憶されていること。その一方、結婚と離婚、病気、子どもとの葛藤、家族の死などの人生経験が、否応なく、それぞれに刻まれていること。そこには、男であるわたしには理解が及ばない問題もあるでしょう。

 時間にすれば一日にも満たない、わずかな時間でしたが、それにしても嬉しい女子会でした。こんにち人は、小学校から大学までたくさんの教師の教えを受けますが、その一人を恩師として認めるのは、教師自身ではありません。教えを受けた生徒・学生が認めない限り、恩師にはなれません。わたしは少なくとも彼女たちにそう認められていたんだと知ることで、〈元気の源〉を貰った気がします。