暦は秋へと向かっているが、本欄では9月の便りの続編を記す。

 さて6年ぶりにベルギーに向かったのは、KUルーヴェン大学で開催されたEAJRS欧州日本資料専門家会議の年次大会で基調講演をするためであった。

 戦後、日本の国際的地位が上昇することで、海外から日本、とくに歴史文化への注目度が上がった。その結果、日本に関する研究団体が次々と立ち上がることになったが、私の見分の範囲でいえば、大御所はAASアメリカアジア学会で数千人の会員を擁し、毎年、シェラトンなど大ホテルを会場に1週間、開催されている。一方、欧州には1973年に創設されたEAJS欧州日本研究協会があり、三カ年に一度開催され、千人前後の参加がある。大学に勤める研究者や大学院生が中心で、わたしも大学研究者という立場で参加していたが、いつの頃か、図書館や博物館などで日本関係資料に日常的に携わっている人びとの姿が少ないことに気が付いた。

 おそらくそうした事情を背景に、図書館や博物館で日常的に日本資料を扱う人びとも含めた交流の場としてEAJR()Sが生まれたのだと理解できる。欧州日本資料(・・)専門家会議と命名される所以である。毎年開催で、ルーヴェン大会は33回目にあたる。

 わたしも最初、EAJSに参加していたが、友人のKUル-ヴェン大学名誉教授ファンデヴァレ氏がEAJRS会長に就任したことを契機に誘われ、2014年、リスボン大会にはじめて参加した。図書館や博物館関係者が複数いるということに加え、200人前後という規模から参加者に対する報告者の割合が多く、その分、交流する機会が豊かというのが参加し続けている理由である。

 冒頭、三上正裕日本大使の歓迎の詞があり、ファンデヴァレ会長の挨拶に続いて、基調講演となった(写真1)。講演は「日本の旧家に眠る資料―政事・文事・家事―」とするものだが、急遽、そこに「デジタル化の前に」という副題を付けて臨んだ。その理由は、予稿集を見ていて、日本資料のデジタル化に関する報告が多いことに気付いていたからである。この機転は功を奏し、講演は好評を得ることとなった(本年度末発行の博物館紀要『塵界』に執筆予定)。

写真1 ファンデヴァレ会長(左)と藪田(右)

 4日間の報告を聞いていて浮かび上がったのは、日本のデジタル熱。その背景には日本政府が、日本資料のデジタル化に対し多額の投資をしているこという事実がある。それを受けた日本の研究機関や大学(主に国立)が、今年の大会テーマ「日本研究の時流に適応する」に呼応して、ここを成果発表の場として位置づけているとわたしには見えた。海外に出ることで、日本で起きていることが分かる、とはしばしば経験してきたことだが、その教訓は、6年ぶりのヨーロッパでも生きていた。

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 最後に6年ぶりに遠くベルギーに行こうと決めたもう一つの目的、ケルン在住の友人の弔問について記す。

 外遊は、出会いの場で、当然、欧米の人が最も多いが、海外暮らしの日本人との貴重な出会いもある。欧米人と結婚して、現地に滞在している日本人が男女を問わず多く、彼、野村(こう)(けん)氏もその一人。

 福井県武生の生まれで、大学卒業とともにドイツに渡り、様々な仕事をしながら腕を磨き、ケルンで認められる芸術家の地位を得た。そこにドイツ人で日本文化史を研究するフランチスカ・エームケ女史との出会いがあり、結婚。そのエームケさんに、関西大学時代の2006年10月、オーストリア・グラーツのエッゲンベルク城所蔵「豊臣期大坂図屏風」の調査研究事業を通じて会うことで、さらに夫君のコーケンさんの知遇を得たのである。

 同じ1948年生まれということも親近感を覚える一因であったが、その彼が、二年前の8月、73歳で急逝した。コロナ禍でメールで弔意を示すばかりであったが、6年ぶりの訪問を機にケルンに行くことにした。

 ケルン大聖堂傍のケルン駅で、奥様のエームケ教授に迎えられ、旧城壁近くの住まいに伺った(写真2)。台所と食堂、ベットルームの他は、すべて彼の作品の陳列室。ドイツ北部北海の沿岸で拾った石や流木を利用して作品を作るのは彼の特徴で、複数の作品に共通している(写真3)。

 また書を活用しているのも特徴で、一度、実家の武生で帰国展を開催された時に展示されたインスタレーションの作品には、万葉集などの歌が書かれたレジのレシートの巻紙が所狭し、と吊り下げられ、驚いた記憶がある。遺品としていただいた作品もその一つで、阿弥陀仏の印影の周囲を手書きの般若心経が幾重にも囲んでいる(写真4)。そこにあるのは「精魂を込めた」という一事。

(写真4)エームケ夫人と作品

 彼の急死は医者にも原因不明だったと言う。しかし遺作を見ていて、異国での50年余の芸術家活動を通じて彼は、精も根も尽き果ててしまったのではないだろうか、と思えた。最初、その急死に戸惑っていたエームケさんもいまでは、そのように理解していると話され、互いに頷き合った。わたしには真似のできないことであろう。

 いま彼は、位牌も墓碑もなく、大好きなドイツの森の中で眠っている。