自分の住まいや博物館の近くの神社への初詣は別として、毎年、これといった場所を探して初詣に行っています。近年のことで、コロナ感染拡大という社会的な背景もありますが、自分自身年を重ね、一年一年の歳月が尊く思えるようになることで、その分、「日々、健勝に過ごせるように心を込めて祈願したい」と願うようになったのだと思います。
 昨年は伊勢神宮でしたが、今年は、弘法大師ご生誕1250年を迎える高野山に参りました。
 
 南海電車の極楽橋で下車、目の前のケーブルカーに乗って一気に600メートルを駆け上がります。リュックを背負った海外からの旅行者もあり、さすがに世界遺産。山上には、二日前に降ったという雪が残り、凍った道に気を取られながらの初詣です。

 高野山大学に勤務する友人櫻木潤氏が車で迎えてくれ、中の橋で下車。そこから徒歩で奥の院、そして大師の眠る御廟へ向かいます。信長や秀吉の墓碑が有名ですが、もっとも大きな墓碑は徳川2代将軍の妻お江の方だと言うので、まず参拝。隣には娘千姫の墓碑が並んでいます。

 参道の両側に並ぶ墓碑のあたりはまだらに積雪が残っていますが、幸い好天で、日中、8度と気温も高く、干支の蓬莱(切り紙細工の形代)がかかる手水鉢には清水が流れています。朝方は零下3度であったといいますから、お山にしてはじつに温かい日中でした。

 その後、金剛峯寺近くの駐車場に車を止め、根本大塔へ。朱塗りの多宝塔形式の大塔に入ると、目の前には曼荼羅の世界が。案内によると弘法大師は中国・唐の国から密教を伝えられましたが、その神髄である金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅を日本に招来され、金剛界は京都の東寺に、胎蔵界は高野山に置かれたそうです。本来、曼荼羅は砂絵のように描かれたモノですが、大師は、仏像の世界として再現され、根本大塔の中心に座る大日如来は、両手を膝の上に置き、左右の親指の先を重ねる法界定印の手印を結んでおられます。
灯明を上げ、瞑想。静かに礼拝して外に出て、正面から向き合うと、大塔は入り陽を受けて輝いています。右隣にある西行が籠もって修行したと伝える三昧堂のモノトーンとのなんという対比。静かな時間が流れていきます。

三昧堂

 こうして初詣は終わるのですが、奥の院に行く前に個人的な目的を果たすために塔頭の南院に行きました。毎年、写真家永坂嘉光氏の撮影する高野山カレンダーを贈ってもらっているので、お礼のご挨拶のためですが、いまひとつ、ここでしか手に入らないお札をいただきたいという想いもありました。それがこのお札。数年前に作成され、一度、カレンダーに添えられたモノをいただき、それを大事に飾っていたのが、かなり痛んだので、その代わりをいただきたいと願いに出向いたのです。

南院限定のお札

幸い、在庫があったということで有難く拝受。
このお札に導かれ、令和5年の日々を送りたいと願っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。