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移転後の感應寺
移転後の感應寺
感應寺跡の碑
感應寺の渡し跡
淡路国名所図絵
淡路国名所図絵
淡路名所図会
「移転前の感應寺」(写真提供 兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所)
「移転前の感應寺」(写真提供 兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所)
「移転前の感應寺」(写真提供 兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所)

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感應寺はもともと南あわじ市倭文(しとおり)の松尾山(感應寺山)にあったとされる。創建は、梵鐘銘に「御守護源(細川)成春(中略)文明七年(1475)・・」とあることから、室町時代中頃まで遡るようであるが、詳細は不明である。この寺は『淡路国名所図絵』では立派な石垣を持つ城郭のように描かれており、現在の景観と大きく異なっているが、これは寺が築城半ばで廃城となった叶堂城の跡に建てられたためである。この城が完成せずに廃城となった事実は、同じく『淡路国名所図絵』に、農民の臼ひき歌の一節として「叶應堂の城は緯(よこ)なし機(はた)よ、建(たて)こしらえて織りもせず」と唄われているとの記述があることからもうかがえる。
何回も移転をくり返してきた感應寺であるが、三原川の河川改修工事でまたもや移転を余儀なくされることになり、寺の基盤となっていた貴重な中世の城郭は消滅した。現在の寺は約400m上流に移転され、元の場所には叶堂城跡の記念碑だけが残っている。

所在地 : 南あわじ市松帆古津路180-1

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