神崎郡市川町(かんざきぐんいちかわちょう)の東、多可郡多可町(たかぐんたかちょう)との境に、笠形山(かさがたやま)というきれいな姿をした山があります。むかしむかし、この山には「あまんじゃく」という名前の、ものすごい力持ちで、体の大きないたずらものが住んでいました。

あまんじゃくは、一度でいいから山の主になってみたいと思って、山の神様に力くらべをしようと持ちかけました。あわてもののあまんじゃくは、山の神様がまだ返事をしないうちにひとり決めしてしまって、「わしは一晩のうちに多可郡の妙見山(みょうけんさん)まで石の橋をかけてやるんじゃ。」と言って、さっそく作りはじめました。

あまんじゃくのイメージ画像

あまんじゃくは大急ぎで近所の山からたくさんの石を集めました。しかし、橋の脚(あし)にしようと大きな石の柱を立てたところで、「コッケコッコウー!」と一番鶏(いちばんどり)の声がしてしまいました。お日さまの苦手なあまんじゃくは、そのまま大あわてで逃げ出しました。

このときあまんじゃくが立てたという石の柱が、いまでも笠形山の山頂近くに残っています。また、このあたりには石の板がたくさんころがっていますが、これもあまんじゃくが橋の板にするために集めたものだと言われています。

このあまんじゃく、多可郡では、ずっと南の明石(あかし)の方からやってきたと伝えられています。明石からずっときゅうくつそうに身をかがめてきたあまんじゃくは、多可郡までやってくると背をのばして楽々と歩けるようになりました。そこで思わず、「ここは高いなぁ。」と言ったので、この土地を「多可郡」と呼ぶようになったと言われています。

またある時、いつものいたずら心をおこしたあまんじゃくは、笠形山の岩を縄(なわ)で引きずりおろして運びはじめました。多可町の北の方から加美区(かみく)、八千代区(やちよく)を通って、中区糀屋(なかくこうじや)まできたところで夜が明けてしまったので、そのまま逃げ帰ったと言われています。

さらにある時は、多可の谷の奥から全部の田にお供えを配って歩き、中区曽我井(なかくそがい)まできたところで夜が明けてしまったので、またもや逃げ帰ったとされています。おっちょこちょいで、どこかにくめない、そんなあまんじゃくのお話です。

(『郷土の民話』中播編、東播編をもとに作成)