三田市(さんだし)の北部、丹波篠山市(たんばささやまし)との境目近くに、永沢寺(ようたくじ)というお寺があります。このお寺を開いた通幻禅師(つうげんぜんじ)は、お墓から生まれたと伝えられています。

ある夜のこと、村にある飴屋(あめや)さんは、コツコツと戸をたたく音に気づきました。

「こんな時間にだれじゃろう。」
と、戸を開けると、青白い顔をした女の人が立っていて、
「夜分にすみません。飴を一つください。」
と、銭を出しました。その銭の冷たいこと冷たいこと。飴屋のおじいさんはぞっとしました。女の人は飴を買うと、夜のやみにとけるように消えていきました。

赤ん坊を抱える女性のイラスト画像

それからというもの、毎晩毎晩、同じ女の人が飴を買いにくるようになりました。おじいさんとおばあさんは、どうにもうす気味悪くなって、お寺の和尚(おしょう)さんに相談しました。

「おかしな話じゃな。わしが様子を見てみるとしよう。」
和尚さんは飴屋さんにやってきて、女の人がくるのを待つことにしました。

その夜も、やはり女の人は飴を買いにきました。買った飴を大事そうにかかえてまた夜のやみに消えていこうとします。和尚さんはその跡をつけて行くと、女の人は村の墓場へ向かい、新しくうめられたばかりの墓へ、すーっと吸いこまれるように消えていきました。

するとその墓の中から、「おぎゃぁ、おぎゃぁ。」という赤ん坊の泣き声と、それをあやす女の人の声がします。
和尚さんはおどろきましたが、すぐに気をとりなおして、声がするお墓を掘り返しました。すると、このあいだ亡くなったばかりの女の人の遺体のそばで、まるまると太った男の子が泣きながら飴をしっかりとにぎりしめていたのです。

和尚さんはすぐにこの子をだきかかえると、飴屋さんへ急いで帰りました。
「この子は、仏様がさずけてくださった子供じゃ。大事に育ててはもらえないだろうか。」
おじいさんとおばあさんも、和尚さんの言うとおりと思い、大切に赤ん坊を育てることにしました。

赤ん坊は、大きくなってからきびしい修行をつみ、立派なお坊さんになりました。このお坊さんが、永沢寺を開いた通幻禅師だと伝えられています。
(『郷土の民話』丹有編をもとに作成)