むかしむかし、明石(あかし)の西、林崎(はやしざき)の岸崎(きさき)というところに、西窓后(せいそうこう)・東窓后(とうそうこう)という二人のお后(きさき)が住んでいました。
そのころ明石の海には、足の長さが八キロメートルから十二キロメートルもあるという、とてつもなく大きなタコが住みついていました。この大ダコは、美しいお后たちに目をつけ、何とかして海に引っぱりこんでしまおうと、岸崎近くの海辺をうろつくようになりました。お后たちは、とてもおそろしくて、毎日じっと家の中に閉じこもるようになってしまいました。
近くの二見浦(ふたみがうら)に、浮須三郎左衛門(うきすさぶろうざえもん)という強い武士がいました。三郎左衛門は、この話を聞いて、「にくい大ダコめ。おれが退治してやる。」と決意しました。しかし、相手はおそろしく大きなタコ、太い足をふりまわされてはとてもかないそうもありません。何か作戦をたてなくてはいけないと、三郎左衛門は知恵(ちえ)をしぼりました。
そうして思いついたのが、タコツボでした。タコは、ふだんはタイなどの天敵から身を守るために、岩場のすき間にもぐりこんで生活しているので、壺(つぼ)のような狭いところを見つけるとそこに入ってじっとしてしまう性質があります。これを利用したのが、現在も行われているタコツボ漁なのです。三郎左衛門は、大ダコ用に特別大きな壺を作って、海にしかけました。
ねらいは見事にあたって、大ダコはこのタコツボでのんびりしているところを陸に引き上げられ、生けどられてしまいました。でも、それからが大変でした。大ダコは必死で足をのばして壺からはい出ようともがきました。三郎左衛門は、暴れまわる大ダコの足を、一本一本刀で切り落としていきました。大ダコはますます暴れて、とうとうタコツボをひっくり返してしまいました。
大ダコは、タコツボをひっくり返すと、すばやく山伏(やまぶし)の姿に身を変え、ものすごい早さで北へと逃げだしました。逃がしてなるものかと三郎左衛門も必死で追いかけます。ついに林崎の林神社のあたりで追いつめ、山伏をみごと四つにたたき切りました。
切られた大ダコは、そのまま大きな石になってしまいました。都の天皇はたいそうよろこんで、三郎左衛門にたくさんのほうびと、「源時正(みなもとのときまさ)」という名前を与えたということです。
(『郷土の民話』東播編をもとに作成)