むかしむかし、今の姫路市香寺町犬飼(ひめじしこうでらちょういぬかい)のことを沢村(さわむら)と呼んでいました。そのころの沢村には、年に一度の氏神(うじがみ)の祭りに、神へのささげ物として人をいけにえにする、「人身御供(ひとみごくう)」と呼ぶならわしがありました。ある年、堤佐助(つつみさすけ)の十三歳になる娘に順番が回ってきました。
「いくら氏神様のためとはいえ、手塩にかけて育てた娘をいけにえにするなんて。」
佐助は深く悲しんでいました。
そんなとき、佐助の家へ、伊勢神宮(いせじんぐう)の教えを広めるために、芝左太夫(しばさだゆう)という男が、毛並みのつやつやした犬を供に従えて訪ねてきました。左太夫は、佐助から人身御供の話を聞き、「なんとむごいことを。」と心から同情しました。
「よし。それならば、わたしがその娘の代わりに氏神のところへ行くとしよう。」
左太夫は愛犬を連れて、氏神の社(やしろ)へ向かいました。社殿(しゃでん)の戸を閉めて、中で犬とともに待っていると、夜半過ぎにとつぜん戸が開きました。そして、見たこともないような大きな猿(さる)が、左太夫を一かみにしようとものすごい勢いでおそいかかってきました。
しかしそのとき、左太夫の愛犬がすばやく飛び出し、大猿と犬とは組んだりはなれたり、はげしく戦いました。ついに愛犬が大猿を追いつめ、ノドにかみついてとどめをさそうとしたとき、大猿は急に狸に姿を変えて山の上へと逃げていきました。
それから後、この村では人身御供のならわしはなくなりました。村人たちは左太夫が伝えた伊勢の神様を氏神としてまつることにしました。そして村の名前も、沢村をあらためて犬飼村と呼ぶようになったのです。
(『播磨鑑』、『郷土の民話』中播編をもとに作成)