江戸時代の元禄(げんろく)年間(1688~1704)のことです。今の佐用町上本郷、下本郷(さようちょうかみほんごう、しもほんごう)のあたりに、太郎左衛門(たろうざえもん)さんという人が住んでいました。そのころ本郷は、東本郷村(ひがしほんごうむら)と呼ばれていました。

秋口のある日、太郎左衛門さんは、用事があって近くの村へ出かけ、帰りが夜おそくなってしまいました。雨がしとしとと降る暗い夜でしたが、よく通いなれた道なので、傘(かさ)をさしてゆっくりと歩いて帰ってきていました。

火の玉のイメージ画像

するとある藪(やぶ)のかげで、火が燃えているのが見えます。太郎左衛門さんは少しおどろきましたが、むしろ持ち前の負けん気が出てきました。
「これはうわさに聞く火の玉というやつやな。ちょうどいい。今夜ははっきり正体を見届けてやろう。」
太郎左衛門さんはこっそりとその火の玉の方へ近づいていきました。しかし、あともう少し、というところまできたときに、火の玉はすっと消えてしまいました。また出てくるかとしばらく待ってみましたが、もう何事もおこりませんでした。この辺で燃えていたはず、という場所を探ってもみたのですが、やはり何も見つかりませんでした。

つぎの朝、太郎左衛門さんが顔を洗おうとして手を見ると、両腕(りょううで)のひじから先が真っ青になっていました。
「ははぁ、これは火の玉の場所を探したせいやな。」
太郎左衛門さんは、何度も腕を洗いましたが、その色はまるで落ちませんでした。でも、二、三日たつと、次第にうすくなり消えていったということです。

(『西播怪談実記』をもとに作成)