書写山円教寺

摩尼殿
摩尼殿

写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)は、姫路市街の北西にある。夢前川(ゆめさきがわ)と菅生川(すごうがわ)に挟まれて、南北にのびる尾根の南端にある山頂は、標高371m。ふもとからロープウェイに乗り、播磨灘(はりまなだ)を遠望しながらゆくと、数分で山上駅に到着する。兵庫県のレッドデータブックで、「貴重な自然景観」にあげられている山は、緑が濃く、季節ごとに美しい姿を見せてくれる。

書写山
(日本真景・播磨・垂水名所図帖)
書写山
(日本真景・播磨・垂水名所図帖)
円教寺
(播州名所巡覧図絵)
円教寺
(播州名所巡覧図絵)
円教寺(摂播記)
円教寺(摂播記)
山門
山門

山上駅からは参道を歩く。近畿自然歩道の一部でもある参道は、木々の香りが心地よい。途中に分岐があって、どちらへ進んでもかまわないのだけれど、左は整備されたバスも通る道なので、足が辛くなければ右の道を行くことにしたい。道に沿って、西国三十三か所の観音像が立ち、やがて仁王門を経て摩尼殿(まにでん)前へと導かれる。

鬼面
鬼面
鬼追い
鬼追い
弁慶のお手玉石
(護法石)
弁慶のお手玉石
(護法石)
弁慶のお手玉石
(護法石)
弁慶のお手玉石
(護法石)
摩尼殿(縁)
摩尼殿(縁)

摩尼殿は壮麗な建物である。現在の建物は、昭和初期に再建されたものだが、創建は平安時代である。伝説では、この場所に桜の木がって、そこへ天人が舞い降りて礼拝していたのを見た性空上人(しょうくうしょうにん)が、桜に如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)を彫り、像を安置する堂を築いたのが始まりとされている。

かつてあった建物が、大正時代に全焼したのは残念の極みだが、半ば山の斜面にかかって建てられた現在の堂も、前庭の広場に植えられたモミジの木と相まって、絵のような風景を見せてくれる。この摩尼殿には、重要文化財の四天王像が祭られている。

食堂から見る大講堂
食堂から見る大講堂
食堂の内部
食堂の内部
食堂の内部
食堂の内部

摩尼殿のわきを通って奥へと進むと、5分ほどで大講堂、食堂(じきどう)、常行堂の三堂が並ぶ広場に出る。三堂ともに重要文化財。壮麗な摩尼殿とは趣を異にし、明るくて質素だが重厚な印象。映画『ラストサムライ』(2003年)の撮影に使われた場所である。

大講堂には、釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)、文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)の二菩薩像(ぼさつぞう)、常行堂には阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)があって、いずれも重要文化財に指定されている。

弁慶の机
弁慶の机
蔀戸を上げる
蔀戸を上げる

食堂の二階では、さまざまな歴史資料や寺宝の展示が見られる。それ以上に、建物を一巡りする蔀戸(しとみど)が並んだ腰縁(こしえん)の簡素な風情は、一見するだけの価値がある。

そこから歩くこと数分で奥の院まで行けるから、「奥の院」という言葉にしり込みせず、ぜひ訪ねてほしい。三堂があった明るい空間とはうってかわって、しっとりとした空気の中に落ち着いたお堂が並んでいる。

豊かな森に包まれた書写山が、性空上人が過ごしたころと異なるのは、訪れる人の多さと山から望む町の景色だけである。

開山堂
開山堂
弁慶の鏡井戸
弁慶の鏡井戸
弁慶の鏡井戸
弁慶の鏡井戸
奥の院
奥の院
弁慶の学問所
(護法堂拝殿)
弁慶の学問所
(護法堂拝殿)

用語解説

弥勒寺

説明板
説明板
石の橋
石の橋

弥勒寺(みろくじ)は、書写山の北約5kmの夢前町寺(ゆめさきちょうてら)にある。性空上人が、書写山からさらに隠れ住んだ寺だけに、より山深い里にぽつんと建つ、小さな寺である。

夢前川の谷をさかのぼり、中世の山城として有名な置塩城跡(おきしおじょうせき)がある城山のふもとで、道を西へと入って行くと、やがて左手に小さな石造りの橋がかかり、その先にのびる参道が見える。

弥勒寺本堂
弥勒寺本堂
弥勒寺開山堂
弥勒寺開山堂

白壁の塀に挟まれた参道をゆっくり上って、門を入ると、質素な本堂と丁寧に手入れされた庭であった。そこにたたずんでいると、木々のざわめきや鳥の声の他には、何も聞こえない。今よりももっと何もなかったころ、性空上人はここでどんなことを考えたのだろう。

弥勒寺本堂は、室町時代に守護の赤松義則(あかまつよしのり)によって建てられたもので、本尊として平安時代の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)を祭っている。ともに重要文化財であるが、このほかに性空上人が自ら彫ったという、木造の地蔵像が安置されているという。性空上人の出生の話とも重なって、このお地蔵様は子安地蔵様(こやすじぞうさま)として信仰が厚いそうである。2007年のお正月には、この像が1000年ぶりに公開されるというニュースがあったが、わずか3日間の公開だったのでご覧になった方は多くないだろう。いつかまた、公開されることがあれば、是非お参りしたいものである。

蓮華
蓮華
鳥

性空上人の生涯からは、権力や栄達といった世俗を嫌い、その臭いに敏感だったということがよくわかる。けれども伝説のように、たとえ法皇や中宮というような高い地位にある人であっても、真に仏の道を尋ねたい人に対しては、胸襟(きょうきん)を開き、懇切に接した人であったことも確かなようだ。高ぶらず、人におもねることもなく、ただ淡々と、一心に仏道をおこなった人なのだろう。その生涯を思うとき、現代の私たちの生き方をかえりみずにはいられない。

用語解説