今から1500年も前のことです。そのころの淡路島(あわじしま)は、「御食国(みけつくに)」とも呼ばれて、天皇がめし上がるさまざまな食物を、朝廷(ちょうてい)にさしあげていました。
ある年の秋、允恭天皇(いんぎょうてんのう)という天皇が、淡路へ狩りにやってきました。そのころの淡路には、大きな鹿(しか)や猪(いのしし)、そして鴨(かも)や雁(かり)などのわたり鳥がたくさんいたのです。ところが一日中追いかけて、どんなに矢を射かけても、たった一つのえものもありません。不思議に思った天皇は、その理由を占わせてみました。

するとイザナギ神社の神様から、こんなお告げがあったのです。
「私が、えものをとれないようにしているのだ。赤石(あかし)の海の底にある真珠を取ってきて、私に祭ってくれたら、淡路島のえものを残らず取らせてあげよう。」

天皇はさっそく、淡路の海人(あま)を大勢集めて、赤石の海へもぐらせました。けれども海が深くて、だれ一人底までもぐることができません。
「だれかもっと深くまでもぐれるものはいないのか。」

「申し上げます。阿波国(あわのくに)の長村に、男狭磯(おさし)という海人(あま)がおります。この人は、他の海人の倍ももぐれるそうです。」
「では、すぐに使いを出せ。」

こうして、阿波の国から男狭磯が呼び寄せられました。男狭磯は、さっそく腰に長いなわを結んで、海にもぐってゆきました。
しばらくして浮かび上がってきた男狭磯は言いました。
「この海の底に、とても大きな光るアワビがある。だが深すぎて、とてももぐれそうにない。どうしたものか。」

「それこそ神様のおっしゃる真珠にちがいない。なんとか取れないものかな。」
「どうにかして神様を喜ばせてあげたいものだ。」
「だがさっきもぐったので、もう五十尋(ひろ)もあるぞ。これ以上はとても無理だ。」
船の上にいた人々は、口々に言いました。

男狭磯は迷いました。が、やがて決心したように海へ飛びこみました。なわはぐんぐんのびてゆきます。四十尋、五十尋・・・。やがて六十尋もこえようとしたところで、ぐいぐいとなわを引いて、男狭磯から合図がありました。
「それっ、引っ張れ!」
船の人たちは、必死になってなわをたぐり寄せましたが、ようやく海面についたとき、男狭磯は息が絶えてしまっていました。
けれども男狭磯のうでには、見たこともないほど大きなアワビがしっかりとだかれていて、その中から、桃の実ほどもあるみごとな真珠が見つかったのです。

天皇はさっそく、イザナギ神社に真珠をお祭りしました。すると、神様のお告げの通り、たくさんのえものをとることができました。けれども天皇は、男狭磯が死んでしまったのがくやまれてなりません。そのころ海人というのは、身分の低い人たちでしたが、天皇は男狭磯のために、赤石の海を見わたせる山の上に立派な墓を造り、ていねいにとむらいをしたそうです。石で造ったこのお墓は、だれ言うとなく「石の寝屋(ねや)」と呼ばれるようになりました。