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武家物御曹司島渡

御曹子(おんぞうし 源義経)が、まだ上洛する前のこと。身を寄せていた奥州・藤原秀衡(ひでひら)から、千島の都・喜見城(きけんじょう)のかねひら大王が持っている「大日(だいにち)の法」を行えば、日本国は思いのままになる、とききました。そこで御曹子は、土佐のみなと(※十三湊)へゆき、早風という舟を黄金百両で買い取りました。しかし御曹子は千島の場所を知りません。「どうか千島に渡してください」と、神々に心を込めて祈り、海へと漕ぎ出しました。風にまかせて漕ぎゆくと、さまざまな島を通り過ぎ、七十五日目に不思議な島に上陸しました。
そこは上半身が馬、下半身が人間という不思議な人の住む馬人島でした。また八十余日で、その島民はみな裸というはだか島に着きました。次に七十二日で女護(にょうご)の島に着きました。そこは女の島民しかおらず、御曹子に斬りかかりました。御曹子は、「たいとう丸」という竹笛を美しく奏で、「あとで夫となる男たちを派遣しましょう」と、偽りを述べて逃れました。
それから三十余日で着いた島は、背丈が扇ほどしかない島民の住む小さ子島で、二十五菩薩が現れました。
また九十五日を航海すると、蝦夷(えぞ)が島に着きました。上陸すると武装した男たちから攻撃されそうになりましたが、横笛を吹いて難を逃れました。そして八幡神に祈りを捧げて舟をだすと、いよいよ千島の都に着きました。
千島の喜見城は、頑丈な鉄(くろがね)の城壁で囲まれていました。御曹子はすぐさま鬼たちに捕まりました。観念して笛を吹いたところ、あまりの見事さに命を永らえ、大王のもとに連れていかれました。
大王は十六丈もの身長で、八つの手足、三十もの角をもつ恐ろしい姿をしていました。御曹子が笛を吹き奏でると、大王は大層喜びました。御曹子は「大日の法」を請い、大王と師弟の契りを結びましたが、「大日の法」は伝授してもらえませんでした。大王は酒宴をもうけ、娘のあさひ天女にも笛の音色を聴かせました。
御曹子は天女に求婚して夫婦となり、大王の持つ「大日の法」を手にいれて欲しいと頼みました。天女はそれを盗み出したうえで、御曹子に帰国をすすめました。
単身、喜見城を脱出した御曹子は、「塩山の法」「早風の法」によって、追っ手の鬼たちから逃れることができました。しかし帰国後、御曹子が「濡手の法」を行うと、天女は大王の手で殺されていたことが分かりました。御曹子は、天女の菩提(ぼだい)を弔いました。こうして手にいれた「大日の法」により、御曹子は平家を討ち滅ぼし、国に源氏の代(よ)が訪れました。

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