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甲冑の種類と変遷

大鎧おおよろい

平安時代以降の日本の甲冑には、大きく分けて4つの種類があります。ここではそれぞれの違いについて説明していきます。注目する点は、胴に体を入れるための口がどこに開くのかということと、草摺(くさずり)と呼ばれる腰から下を防御するスカート状の部品の数になります。

まずは「大鎧(おおよろい)」です。大鎧は、草摺が4枚(=4間)にわかれ、胴の右側に脇楯(わいだて)と呼ばれる別部品が付く形式の甲冑の名称です。着用する場合は、脇楯を先に着け、その後で胴の横から体を入れることになります。

大鎧の胴の前面には弦走(つるばしり)の絵韋(えがわ)がはられることが多く、左胸に鳩尾(きゅうび)の板、右胸に栴檀(せんだん)の板と呼ぶ部品がつきます。また、両肩から上腕部の防御のため、大袖(おおそで)をつけるのも基本となっていました。胴や大袖、草摺は、小札(こざね)と呼ばれる小さな革や鉄の板を、威毛(おどしげ)と呼ばれる絹糸などの組紐や革紐などで綴り合わせて作られました。

大鎧は、平安時代以来、上級の騎馬武者が着用する甲冑として用いられました。このころの戦いの主流であった騎馬武者の弓射戦に対応して発達した甲冑で、重量はありますが弓矢への防御力は高いという特徴があります。

左胸の鳩尾の板、右胸の栴檀の板も、こうした弓射戦に適応した部品になっています。鳩尾の板は鉄板に絵韋をはった部品で防御力が強いものです。これに対して栴檀の板は胴や草摺、大袖などと同様に小札を綴ったもので、防御力は落ちますが可動性が高い点に特徴があります。騎馬武者の左手を弓手(ゆんで)といいますが、右利きの武者の場合は左手で弓を持って敵側に向かうことになります。そのため、左胸には防御力の強い鳩尾の板がつくことになったとみられています。これに対して右手は馬手(めて)といい、馬を扱う場合は手綱を持ち、弓を射る場合は矢をつがえ弦を引きしぼる手になります。さらに太刀戦の場合は太刀を振るう腕にもなります。右腕が動かしにくいと、弓を射るときや太刀打ちの際の邪魔になりますので、右胸には可動性の高い栴檀の板がつけられるようになったと考えられているのです。

大鎧の姿は、時代とともに少しずつ変化していきました。平安時代末期の古いタイプは胴の腰元が裾広がりの豪壮な姿をみせます。しかし、鎌倉時代後期ごろになると、腰がややくびれる姿に変化していきました。これは、鎧の重量を肩のみではなく、腰でも負担することでより動きやすくする工夫と考えられています。また、左脇の下に脇板と呼ばれる鉄板に絵韋をはった部品がつくものもみられますが、これは古いものにはなく、鎌倉時代ごろからつけられるようになったものです。

大鎧は、次項で述べるように南北朝時代以降上級武者の胴丸使用が一般化すると、次第に実用品としては用いられなくなっていきました。

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