刀剣の主な産地
日本刀は、制作された時期によって呼び方が区別されています。時期区分については論者ごとに若干の幅がありますが、おおよそのところ安土桃山時代までのものが「古刀(ことう)」と呼ばれています。一方、江戸時代のうち前半にほぼ相当する18世紀後半ごろまでに制作されたものを「新刀(しんとう)」と呼び、それ以降のものを「新々刀(しんしんとう)」と呼んでいます。さらに、新々刀のうち幕末ごろの刀のみをとくに「幕末刀(ばくまつとう)」と呼んで区別することもあります。
古刀期、著名な刀工を輩出した地域として、大和(奈良県)・山城(京都府)・備前(岡山県)・相州(神奈川県)・美濃(岐阜県)の「五箇伝(ごかでん)」と呼ばれる産地がよく知られています。
大和伝は、古都奈良とその周辺で活動した流派で、平安後期から鎌倉時代にかけて成立した千寿院(せんじゅいん)派、尻懸(しっかけ)派、当麻(たいま)派、手掻(てがい)派、保昌(ほうしょう)派の大和五派がよく知られており、備後(広島県)や周防(山口県)の刀工にも影響を与えたとされています。
山城伝は、首都京都を中心に展開した流派で、三条派、粟田口(あわたぐち)派、来(らい)派などが知られ、平安後期の三条宗近(むねちか)や、鎌倉中期の短刀の名手であった粟田口派の藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)、鎌倉後期の来国俊(くにとし)などがよく知られています。
備前伝は、備前国長船(おさふね)などの吉井川下流域を主な拠点とした流派で、福岡一文字(いちもんじ)派、吉岡(よしおか)一文字派、畠田(はたけだ)派、長船派などの諸派が知られています。著名な刀工としては、平安時代末期の古備前友成(ともなり)、鎌倉時代前期の福岡一文字派吉房(よしふさ)、鎌倉中期の長船派長光(ながみつ)などがあります。
相州伝は、武家の都鎌倉を中心とした流派で、鎌倉時代中ごろに山城、備前の刀工が移住して以降名刀が産み出されるようになりました。鎌倉後期の新藤五国光(しんとうごくにみつ)などが著名で、なかでも鎌倉末期から南北朝期初めに活動した五郎入道正宗(ごろうにゅうどうまさむね)の作刀は、安土桃山時代に高く評価されたこともあってひときわ有名です。また、正宗の弟子で、南北朝期に越中(富山県)で活動した郷義弘(ごうよしひろ)の名もよく知られています。
美濃伝は、鎌倉後期ごろ、大和など各地から移住した刀工らが核となって形成された流派で、室町時代以降は美濃国中部の関(せき)が中心的な拠点となりました。大和伝の手掻派出身で、相州正宗の弟子と考えられている南北朝時代の志津三郎兼氏(しづさぶろうかねうじ)や、戦国時代の関孫六兼元(せきまごろくかねもと)などの刀工がよく知られています。
江戸時代以降の新刀・新々刀期には、江戸・大坂・京都の三都や大藩の城下町を中心に、全国各地で刀剣生産が展開しました。山城京都では埋忠(うめただ)系、堀川国広(ほりかわくにひろ)一門などがよく知られ、経済の中心となった大坂では津田助広(つだすけひろ)、井上真改(いのうえしんかい)、月山貞一(がっさんさだかず)などが活躍しています。江戸では幕府御用鍛冶となった越前康継(えちぜんやすつぐ)のほか、水心子正秀(すいしんしまさひで)、長曾祢虎徹(ながそねこてつ)などの名工が知られています。
そのほか、陸奥国仙台(宮城県)の国包(くにかね)一門、加賀国金沢(石川県)の兼若(かねわか)系、備前の長船祐定(すけさだ)、肥前(佐賀県)の忠吉(ただよし)一門、薩摩(鹿児島県)の宮原主水正正清(みやはらもんどのしょうまさきよ)など、全国各地で多くの刀工が活躍しました。